私と声。
手術やリハビリを受ける前は、声の事で困らない日はないくらい、日常の生活は支障だらけでした。
私の声は、今も、出し易い日もあれば、出し難い日もあります。でも、出し難い日でも、それなりに、発声の仕方でコントロール出来るようになりました。そして、普通の人には当たり前の感覚かもしれませんが、声を造ろうと意識せずとも、無意識に会話を楽しむことが出来る様になりました。喉に力を入れすぎないお腹からの発声は、今でも、時々リハビリがてら練習しています。一生無理だと思っていた歌も、あの頃に比べて、ずいぶん色々な曲を歌える様になりました。歌を歌うのはいいリハビリです。
リハビリの可能性は無限大で。進行性の疾患などもあるので簡単に“無限大”と言っていいのか分かりませんが、でも、希望はリハビリの中に必ずあります。
そう、私は信じています。
声の事をテーマに書き始めて、これは、長くなるだろうな。と思って1つずつ書いてきました。今回の記事で20話目、本当に長くなりました。それだけ、私の中で大きな出来事だったのだと思います。私は、リハビリで声が出せる様になったその日に、1つだけ、自分の心に誓った事がありました。
それは、
『これから、どんなに声が出し易くなって生活が楽になっていったとしても、
声が出なくて不自由だった6年間の日々の事を。
当たり前の事が当たり前に出来ないその感覚を。
一生忘れない様にしよう。』
という事です。
この経験から何を学んだのか。
上手く文章に出来ませんが、
この経験が全てで。
当たり前の事が出来なくなるという事。
その人にしか分からない、分かり得ない困り事や思いがあると言う事。
それを100%言葉で説明するのは難しいと言う事。
声が出なかった日々を忘れない様にすると言う事は、そういった大切な“何か”を大事に持ち続ける事なのかもしれません。そして、目の前にいる誰かに、そっと寄り添える優しさを、持ち続けられたらいいなと思います。
今回、こうして忘れたく無いその日々を、記録に残せて良かったです。
最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
〜『私と声』まとめ〜
おしまい。