私と友達
登校初日に私に群がって来た女子達は、しばらくは、親切にしてくれました。
でも、1か月もたたないうちに、私へのもの珍しさも薄れたのか、病弱な子が退院してきた。という青春ドラマにも飽きたのか、一緒にはいるけど、居るだけで。そもそも、会話が成立しないから、クラスメイトとの深い繋がりは出来ませんでした。
ある時、トイレに入っていた私は、私への陰口を聞いてしまいました。
「○っちゃんの事どう思う?」
1人の子が切り出します。
「んー、どうしていいか分かんないし、ぶっちゃけ、声小さいからめんどくさいよね。」
「あー、私もそう思ってた!」
「可哀想だとは思うけどねー。」
『こんなドラマみたいなシーンあるのか!!』
と私は心の中で突っ込みました。凹んだのかなぁ。意外と冷静だった気がします。
多分私は、その子達のその思いになんとなく気付いていたし、病院でのあの経験に比べたら、こんな事。と、こんな事で傷つくか。と、そう思う事にしていました。それに、声が出るようになったら、ちゃんと自分を知ってもらえて、いつかちゃんと分かり合えるはず。とも思っていました。実際に、この陰口を言っていた内の1人とは、中学3年間の途中で、打ち解け合え、2人で休日に遊ぶくらい仲良くなりました。
優しかった人
こんな事で傷つくか。と強くいれたのは、やはり、優しかった人もちゃんといたからだと思います。覚えているのは、学校に復帰して間もない頃、午前中で早退する時に下駄箱で鉢合わせたクラスメイトの男の子。とても大人しい印象で、物静かで、自分から誰かに話かけるタイプでは無さそうな男の子でした。そんな彼が、1人ひっそりと帰り支度をしている私に向かって「ばいばい。」とふり絞ったような声で話しかけてくれたのです。1人ぼっちで帰る私の後ろ姿に、思わず声をかけたくなった。そんな感だったのかな。
『ありがとう。ばいばい』と私が答えると、
「気をつけてね。」とその男の子。
たったこれだけの会話だったけど、嬉しかったな。
1クラス30人。3クラスもあったら、優しい人がいない訳がないですね。思いやってくれる人が1人でもいれば、私は結構頑張れる方です。そういう何気ない思いやりの一言を、自然にかけられるような人になりたいものです。目の前に嫌な事があると、それしか目に入ってこないし、自分の世界の全てがそれに支配されてしまいます。そこでなんとか、視野を広げて、ひっそりと、目立たないけど、どこかに在る優しい存在に気づくこと。人を信じてみる事。私が、困難を生き延びる上で、無意識に大切にしていた事かもしれません。
つづく