Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

私と声⑱〜リハビリ〜

少し間が空きました。続きを書いていきます。

ここまで書いた事を、少し振り返ってみます。

 

13歳、人工血管置換術の手術の際に左反回神経を切断した私は、左反回神経麻痺となり、左の声帯が動かなくなりました。それでも、なんとか6年間、片方の声帯と、それを補う喉の筋肉の代償動作で、学生生活を営んでいきました。小さなかすれ声は、次第に声らしくなってきて、理学療法士の専門学校に入学する頃には、日常生活に大きな支障がないくらいまでに改善していました。それでも、声の出し辛さは残っていて。患者さんを相手に運動等を指導する理学療法になる為に、19歳の冬、私は、リン酸骨カルシウムペースト注入術(BIOPEX)という声帯機能向上の為の手術を受けました。手術は大成功。声を出す際に障害となる、声帯の左右の隙間はなくなりました。しかし、自覚的な声の出し辛さや、長時間聞き取り易い声で話し続ける事はまだ出来なくて・・・。

 

言語療法・リハビリ初回

 

 あと少し。もう少しだけ、良くなりたい。という願いを込めて、私は手術した病院で、リハビリを受ける事になりました。言語聴覚士さん(STさん)による言語療法です。私の通っていた専門学校もリハビリのセラピストを目指す学校ですが、理学療法作業療法学科のみで、言語療法学科ありませんでした。なので、未知の領域に足を踏み入れる感じでした。いったい、どんな事をされるのか、どれくらいの効果があるのか、全くもって想像出来ませんでした。

 

名前を呼ばれ、言語療法室に入ると、そこに待ち受けていたのは、ショートカットの柔らかい雰囲気をまとった女性のSTさんでした。お互いに簡単に挨拶を済ませます。そしてまずは、“私が今何に困っていて、何が出来るようになりたいのか” ということをSTさんに聞いてもらいました。

 

「声帯の手術をして、確かに声は出しやすくなりました。声の質もしっかりしたと思います。」

「でも、声を出す際の違和感は残っていて、まだ良い声を出そうと常に意識していなければならないし、長時間話していたり、長い文章なんかを読もうとすると、途中で喉が詰まるような、痛くなるような感じになって、徐々に声が出せなくなってしまいます。」

「私がリハビリに望む事は、もっと無意識に声が出せるようになりたいのと、長い文章も、最後まで声がかれずに、聞き取り易い安定した声で、読めるようになりたいです。」

 

「あの・・・、最終的には、これが全部読めるくらいになりたいんです。」

 

と私は少し遠慮がちに1枚の用紙を先生に差し出しました。

それは、実習の際に使う症例報告発表のレジュメと原稿(個人情報の記載は全て抜いてあります)。A4の用紙にびっしりと文字が書かれていて、病院実習では大勢の人の前で10分ほどかけて、1人で話し続けなければなりません。話し終わった後には、質疑応答があるので、さらにその余力も残しておかなければなりません。それは私のその時点で一番難しい課題で、一番自信が持てない課題でした。

でも、それが出来たら、怖いものなし。

 

『分かりました。では、今日は初回なので、声の機能を色々と評価させていただきますね。』

 

と、リハビリの評価が始まります。初日にやった評価の内容は、、ごめんなさい。専門外だからか(笑)、詳細に覚えて無いんです。何せ、15年前のことなので。「あーーーーー」と発声して、声が何秒続くかとか。その際に、鼻から息が漏れていないか。とか、葉っぱのフレディという絵本を朗読して録音したりとか。そんな感じだったかな。

 

最後に、ベッドに両膝を立てた状態で、腹式呼吸の練習をして、初日のリハビリは終わりました。次回までに、STの先生が今日の評価結果を踏まえて、考察して、目標に向けたプログラムを立案してくれる。という流れになります。これは、リハビリの基本的な流れですね☆

 

「声がもっと無意識に楽に出せるようになる事」

「症例報告の原稿を、1枚最後まで読みきれるようになる事」

 

を目標に、私のリハビリは幕を開けました。

 

続く。