さて、久しぶりですが、書いていきます。
『私と声』
前回は、声帯の手術について医師からどんな説明を受けたのかをまとめてみました。
今日は、その説明を聞いて、私は何を考えたのかを書いていきます。
嬉しかった
まずは、
喉に傷が残らない有効な治療法の存在を知って、とても嬉しく思いました。手術をするかしないか考えた時に、一番のネックになっていたのは、洋服では隠せない首に傷痕が残ることだったので、嬉しい予想外の出来事でした。
大きな声が出せるようになるけど、身体にまた一つ、それも洋服では隠せない場所に傷痕が増える。未来か、
声にはこれからも不自由するけど、綺麗な首元でいられる。未来か。
私は、この2択で悩んでいて。結局は、首元に傷が残る事覚悟で、前者を選択した訳ですが、まさか、声も改善するし、傷痕も残らない。そんな、幸せな選択肢が出来ていたなんて驚きました。この手術が、まだ新しい治療法で、動物実験ではどうだったとか、症例数が少なく長期の経過はまだ分からないとか、その辺りの不安要素もありましたが、それよりも、患者さんにとって、より利益のある新しい治療法が開発され続けている事への、感謝の気持ちの方が大きかったです。
そもそも、症例数の少ない疾患。こうやって、医療の恩恵を受けながら、どんどん可能性を広げて生きていく事は、自分の為にもなるし、未来の(自分と同じような運命を背負った)子供たちの為にもなるかも知れません。命ある限り生きないと。ですね。
運命とは・・・。
運命とはなんだろうか。と時々考えます。というと、固いですね(笑)
100人に1人の先天性心疾患、50万人に1人という確率の大動脈弓離断症、バルーンカテーテルでは1%以下の確率で起こると説明されていた大動脈瘤が出来てしまって。片方の声帯は麻痺して。これだけみると、とんだ運の悪さを持って生まれてきたような気がします。前世でどんな悪いことをしたのでしょうか。実は、旧性で姓名判断をしてもらった時に、「最大凶運」と出た事があります。ここまでくると、もう、逆に自慢です。(笑)。
でも、
当時、助かる事が少なかった病気で、命が救われた事。生後何日目かでチアノーゼが出て、救急車で運ばれた病院。そこで、すぐに正しい診断名がついて、なおかつその病院で手術が可能だった事。これは、ブログで知り合った親御さんから聞いた話ですが、その子は、診断されたものの県内の病院では手術出来ず、ドクターヘリかなんかで他県の病院に搬送されたそう。だから、30年前に、この病気で、私の命がスムーズに救命された事は奇跡的です!と言ってくださった。そして、いつ破裂してもおかしくない仮性大動脈瘤が、破裂せずに持ちこたえてくれた事。術後の肺炎等の合併症も乗り越えられた事。反回神経麻痺がありながらも、こうして自由に声が出せる事。理学療法士として健康に運動面から関わる仕事をさせて頂けている事。
何回も、命の危機があったけど、何度も乗り越え、今、生きている事。
本当に、最大凶運。なのかな。
見方によっては、最強運。なのかもしれません。
でなきゃ、とっくに死んでてもおかしくない・・。
この手術の説明を聞いた時も、運命って不思議だなと思いました。
私は、反回神経麻痺になってから、約6年も耳鼻咽喉科を受診せずに、リハビリも受けずに放置していて。
もし、もっと早くに手術を決意していたら?
母が治療に積極的で術後すぐに声帯に対して治療を開始しようと動いていたら?
私の喉にはしっかりと傷痕が残っていたかもしれません。病院を訪れたのが、ほんの数年早くても、この治療法はまだ確立されていないだろうし、他の病院を受診していても、この治療法を受ける事が出来なかったかもしれません。音声外来を受診した時に、外来で出会えた先生が、この治療法の開発者だった事。
なんというか、待つべくして、待った6年だったのかな。って。
このタイミングで、この先生に出会わせてくれた事って、やはりどこか運命的で。
私は、ついていないのでは無く、運が強いのではないかな。
と、当時の私は、手術の説明を受けながら、そんな事を考えていました。
そして、その6年の不自由さから学んだ事が、今の私の基盤になっています。
おしまい。
おまけ
最近、元気がない私に、夫が買ってきた飲み物。
単純すぎて、もう・・笑。