初登校日
迎えた登校日、休み時間。
私は沢山の女子達に囲まれて、1から10まで、質問のシャワーです。
「大丈夫〜。可哀想〜。心配してたよ〜。」
の前置きから、
「え?声出ないの?なんでなんで?もう治らないの?」
「この白いやつなに?」(胸椎バンドがブラウスから透けて見えてた。)
「手術ってどんなだった?」
「痛かったの?」
中学の思春期の女子達です。キャーキャー言いながら、心配したよと私にむらがり、質問の嵐。そんなに質問されても、そんなにうるさくされたら、私の小さい声なんて全く届きません。そもそも、こちらの回答なんて、本当はそんなに興味ないのでしょう。上手く答えられなくても、お構いなしに質問は止みません。その子達の目は、思いやりの目じゃなく、好奇心むき出しで、
"病弱な子を迎え入れている優しいしクラスメイトの私たち。"
という青春映画でも撮っているつもりなのでしょうか。
いけない。当時の本音がついつい・・・笑。
これが、高校生くらいだったら、もう少し周りも大人になっていて、少し違ったのかもしれないけど、まだ中学1年生ですからね。
頑張って声を出したところで、周囲のざわつく音にかき消されてしまう自分の声。私は途中から、声を出す事を諦め、ただただニコニコと微笑みながら、うなずいたり、首を横にふったり。そんな風にしてやり過ごしました。この癖は、割と大人になるまで抜けなかったな。どんな事を言われても笑ってその場をやり過ごしてしまう、私の癖。今は違いますが・・・。会話をしていて、自分の意図と少し違う事を言われたり、少しディスられたりしても、それを撤回する為に必要な文字数を、説明するだけの発声力がないから、「まぁいいか。相手も悪気がなく言っているだけかもしれないし。いつか気づくだろう」と、微笑みながら相手の話を聞く。それが、この頃から高校生くらいまでの、私の会話のスタイルでした。
頑張っても出来ないと気づくと、人は諦めてしまうのかも。
この仕事をしていても、そういう場面は多く目にします。
例えば、認知症と言われていて、いつもニコニコしていたあるおばあちゃん。「今日はいい天気ですね。」という台詞を繰り返します。ご家族も、「何を言ってもニコニコしていて。耳も遠いですし。もう難しい会話は出来ないと思います」と。確かに、片耳は完全に聴こえていなくて、反対の耳もかなり聴力が低下している。少し大きめの声で話しかけても、伝わらない事が多い。私も、家族も、ケアマネさんも、「はい」か「いいえ」で答えられるような簡潔で短い言葉で話しかけたり、リハビリだったら、私の動きを真似してもらう事で、運動を指示したり、そんな風に接していました。
でも、何度かお会いする内に、その方は、私が伝えようとした事は全部理解してくれている事。私の声が聞き取れなかった時にとても申し訳なさそうな表情をする事。そして、そのいつもニコニコしている笑顔がなんだかちょっぴり切なそうに見えた事。そんな事から、ハッと、気づかされるのです。
もしかしたら、
頑張っても、耳が遠くて、相手の声が聞こえないから、うまく返事を返す事が出来ない。そんな経験を重ねる内に、自分から会話する事を諦めてしまっているんじゃないかって。だから、なるべくニコニコしてその場をやり過ごしているんじゃないかって。周囲の人も、認知症だからと、難しい事を話しかけなくなっていって・・・。
その日私は、その方に、少し難しく長い文章を、聞こえる方の耳元に出来るだけ顔を近づけて、低く大きな声で、話してみました。ご家族の、そんな難しい話をしても理解出来ないんじゃないかという表情を横目に、伝われと念じながら。
『身体の重心、体重が後ろに残ったまま、立とうすると、上手く立ちあがれません。上半身を少し前に倒して、両足の裏に体重が乗ったなっていう感覚を感じてから、それからお尻を持ち上げてみましょう。立つために必要な足の筋肉はあるから、練習すれば1人で立てるようになると思いますよ。今日は1つずつ練習してみましょう。』
するとその方は少し表情を変えて、
「上手く出来るか分からないけどやってみます。」
と答えました。そして、何度か練習して上手に立てるようになると、
「あなたがしっかり説明してくれたから出来たんです。ありがとう。」
と、あのニコニコとしたいつもの表情とはちがう、自然な笑顔で笑っていました。
そこからは、毎週、リハビリをしながら、好きな食べ物の話とか、昔働いていた頃の話とか、お天気の話以外の話しも自分から沢山してくれるようになりました。小さな声でも私に耳を傾けて、なんとか聞こうとしてくれた人がいた時、その気持ちも、会話が出来た!という事も、私は嬉しかったもんな。私は"声"で、この方は"耳"。少し違うけど、同じ感じだったのかな。
この方との出会いは、
中学の初登校日、あの経験をしておいて良かったなと思わせてくれて、
理学療法士になる為にしっかりとした声が出るように手術をしておいて良かったなと思わせてくれた、そんな出会いでした。
ただ、そう感じれられる様になったのは、今だからで。
当時の私は、この登校日に、
『小さな声しか出せないって事は、ものすごく大変な事なんだ。』
『騒がしい学校では、こんな小さな声なんて何も役に立たないんだ。』
と、声が出せない大変さに気づきました。そして、
『あれっ?私って周りの人とはちょと違うの?“障がい者”なの?』
と、自分の病気や障害の生きづらさを自覚させられた日でもありました。
つづく。