Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

私と声⑤〜退院日の不安〜

 

入院中の声のこと

 

手術が終わり私の声は、小さく少しハスキーな声となりました。分かりやすく言うと、ひそひそと内緒話をするような声。でも、手術直後は人工呼吸器をつけているので声が出せないし、それが外れた後も息苦しくて会話する余裕が無かったので、『小さな声しか出せない』ということが、どれだけ大変な事かを自覚するのは、まだ少し先になります。

 

手術後の私は、

息苦しさと闘い、空腹感と闘い、上手く飲み物が飲み込めない事へのもどかしさと闘い。そして、重力と闘います・・・。呼吸状態が落ち着き、それまでベッド上安静だったところから、約1ヶ月ぶりに、自分の足で歩いたのです。病室からトイレまでの短い距離でした。久しぶりに地面を踏みしめた私は、

「地球って、本当に重力があるんだね。」

と、月から帰還した宇宙飛行士の台詞のような事を言いました。身体が鉛のように重くて、両足が地面にへばりつく。そんな感覚でした。それまでは、ベッド脇にあるポータブルトイレを使用していました。トイレまで歩けて、トイレで排泄出来た時の言葉にできない喜びも、まだ覚えています。自分の意思で、行きたい時に、行きたい場所に行けるのって、ものすごい幸せな事です。

 

そんなふうに、大変な事が色々あったので、入院中の声にまつわるエピソードは、実はほとんど覚えていないんです。声のことを悩む余裕がなかったのかもしれません。もしくは、病院は静かで、周りの人はみな親切に耳を傾けてくれるから、小さな声でも、大きく不自由な思いはしなかったのかもしれません。

 

1つだけ覚えているのは、退院日のこと。父が運転する車に揺られながら、

「こんな声になって・・・。兄や、おばあちゃんは、この小さなささやき声を聞いて、びっくりするかな。どんな風にに思うんだろう。どんな表情を、どんな反応をするんだろう・・。」

と、少しの不安を抱いたことを覚えています。

 

結果、兄は、今までとなんら変わらず同じように接してくれました。きっと、母から事前に聞かされていたのだと思います。祖母は、「優しくて素敵な声ね。」と言ってくれました。

 

もともと私との喧嘩が多く、気性が荒かった兄。思い返すと、そんな兄ですが、たったの1度も、病気の事や、身体の事、声の事をからかってきたり、悪く言ってきた事はありませんでした。同じくらいの年齢のそのへんにいる男子や女子にからかわれた事なら沢山あるのに・・・。どんなに仲が悪くても、そこだけは守ってくれた兄。やっぱり、家族なんだなと思います。感謝です。

 

入院中や、家庭内では、みんな仲間だったから。見守ってくれていたから。

声の事で不自由さを感じることは少なかったのだと思います。

 

『声が出ない事がこんなに大変な事なのか』

と思い知るのは、学校に復帰してからでした・・・。

 

退院日の不安。について書きましたが、退院日の感動。もありました。

以前書いた記事にあります。よかったら見て下さい。

※この身体に生まれてよかった事 ①

 

つづく