こんにちは。
前回の記事を読んでくださった皆さん、
自分にしか分からない毎日の困り事を教えてくれた皆さん、
ありがとうございました!!
そんな困り事あるのね。って新たに気づかせてくれた人もいましたし、
古傷が痛むとか、賑やかな所だと声が通りにくいとか、
同じような困り事を共有しあったりも出来て、勉強になったし、嬉しかったです。
なかなか普通の大きさの声が出せなかった私も、少しずつ大きめの声が出せる様になって、高校では、普通の女子高生らしい学校生活を送れていました。そんな中、声に関する困り事は、前回書いた様に日々ありました。ただ、在学中に手術をした中学とは違い、高校のクラスメイト達は私の病気なんて知りません。いちいち説明するのも大変だし、気を使わせてしまうのも申し訳ないし、病気を言い訳にしない様に頑張ろうとする年頃でもあったので(私の場合はです。)、どんな場面で、誰に、どこまで説明するのか。というのは難しい問題だった気がします。
周りの友達が最初から病気の事を知らないのには、メリットもデメリットもあって、
メリットとしては、「心臓病の子=病弱=可哀想=大人しそう=弱そう=etc・・・」といった連想ゲームの様な先入観をもたれる事なく自分を観てくれる事。
デメリットとしては、毎日の病気に関する困り事を1人で抱え込んだり、我慢しがちになる事。でしょうか。
在学中に手術をした中学では、皆が病気の事を知っていました。そうすると、病気に対する個々が持つイメージが、先生達やクラスメイトの心の中に先行してしまっていた様な気がします。本当に大人しい性格だとしても、病弱だとしても、それは問題ではないし、恥ずべき事ではありません。そういう個性です。でも、本来の私の姿を見ようとも知ろうともせずに、病気のイメージだけで接してくる人達が多くて、少し違和感を感じていました。
クラス替えをする度に、担任の先生から「病気の事でいじめられてない?」と聞かれた事は、今でもあまりいい思い出ではありません。病気を持っているという事自体が、いじめられるような事なのだろうか。と、疑問を持ったし、生まれた時から病気とセットで育ってきた私だから、「病気=いじめ」という図式が、自分自身の存在を否定されている様な気になってしまったのかもしれません。
そこが私の強みで魅力なんだけどな。
(と、恥ずかしげもなく言えるようになったのは最近です。)
これも難しくて、
私は皆に、病気を自分の強みにしてね。とか、それもあなたの個性で魅力だよ。
とか言いたい気持ちは全くありません。そんな事、他人が決める事じゃないですもんね。
病気と共に成長していく中で、沢山ゆさぶれられて、色々な事を感じたり考えたりして、ある時から、本気で自分と向き合おうと思って、そして、今、自分の病気をそんな風にに捉える様になってきた。
という私のお話しです。
大事なのは、他人からこう捉えなさいと、強要される事ではないですね。
それぞれの、向き会い方が、あるのだと思います。
あれっ?なんだか話がそれちゃいました。
まぁいっかな。私と声の事を考えて言ったら、書けた記事なので、一応題名も、
「私と声」にしておきます♡
この後は、専門学校時代に、自分の病気や声の事がどう周りに伝わっていったのか、とつなげたいと思っていますが、これからも書きながら話題がそれてしまうかもしれません。それだけ、声の事は、私にとって、色々な事を考えさせられる出来事だったのだと思います。
~おまけ~
海外ドラマのウォーキングデッドで、
「障害じゃない。それが、あなたの、スーパーパワー。」
という台詞があって、人から言われると不快な気分になる台詞かもしれないけど、私は先程書いた自分の思いと重なる部分があって、少し嬉しくなりました。
おしまい。