Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

とある休日

2023.1.28(土)

今日は土曜日だけど、息子は防災訓練デーとかで、学校があり8:00に登校して行った。帰りは14:00。それまでに、少し気分転換をしようと思い、電車に乗り、朝からやっているコメダ珈琲店でモーニングを食べながら読書をする。

f:id:Sweet-pea:20230129161743j:image

最近平野啓一郎の「本心」という本を読み終わったので、新しい本としてミヒャエル・エンデの「はてしない物語」という児童文学書を購入した。映画ネバーエンディングストーリーの原作だ。時間泥棒「モモ」を書いている作家さん。文庫版とハードカバーがあり、ハードカバーは少しお高めなのだが、重厚感のあるあかがね色のとてもキレイな本なので、そちらを購入。辞書みたいな大きさの本だが、カバンに入れて喫茶店に持って行った。モーニングのパンを食べた後、甘いミックスジュースを飲みながら、だいたい1時間半くらいゆっくりと読書をした。

f:id:Sweet-pea:20230129161840j:image

児童文学だけあって、空想の世界のファンタジーで、童心に帰れるような、イマジネーションが広がる世界へと飛んでいけそうな、そんな物語でした。日々の生活に追われている人は、現実から離れて、本の世界を旅するような、そんな体験が出来る本。

f:id:Sweet-pea:20230129161939j:image
f:id:Sweet-pea:20230129161942j:image

しばらくすると、喫茶店も混んできて、入り口には席が空くのを待っているお客さんの列も出来始めた。キリが良い所で本を閉じ、喫茶店を出る。

少し歩くと、中華街がある。ちょうど、春節という中国のお正月の時期で賑わっていたので、中華街を散策する事にした。通りかかったある石屋さんに入ると、クリスタルやら、トパーズやら、オパールやら、色々な石が売っていて、宝石・鉱石好きな息子を連れてきたら喜ぶんだろうな、と思った。せっかくなので、アクセサリーなどを浄化できる水晶のさざれ石を購入。数軒隣にある、ハワイアン雑貨のお店で、貝殻の形の小さなお皿も買った。それにさざれ石を入れる事にした。とてもキレイ。パワーストーンや、普段から身につけている指輪などのアクセサリーを時々置いてあげると、浄化されて溜まった悪い気が減る、とお店の人が教えてくれた。スピリチュアルは信じる信じないあると思うけど、キレイだし、インテリアにもなるし、ちょっとお守り的な感じで、購入した。一緒に買った、カエルの置物と一緒に飾る。

f:id:Sweet-pea:20230129162225j:image

さらに、散策していると、また別の雑貨屋さんを発見し入ってみる。お店の奥の方に進むと、本棚があって、普通の本屋さんには置いていないような、様々なジャンルの本が並んでいた。どれも、本の端っこが折れていたり、年期の入っている古本のような新品の本が沢山あって、好奇心をくすぐられる。ウキウキしながら眺めた。たまたま、「はてしない物語」も売っていた。

f:id:Sweet-pea:20230129162324j:image

散策していたら、お昼時になり、路地にある小さな中華屋さんに入り、お昼を食べる。四川風麻婆豆腐。本場の味でピリリと辛くて美味しかった。机の脇に、占いのマシンを発見。小さい頃、父に連れられた喫茶店にあった、懐かしい昭和レトロなマシンだった。

f:id:Sweet-pea:20230129162357j:image
f:id:Sweet-pea:20230129162354j:image

そんなこんなで、そろそろ息子が帰ってくる時間なので、13:30前には帰路に着く。

夜は息子が、お風呂を入る入らないで、パニックになり母子ともに大変だったのだが、それはまた他のお話で…。(という書き方が、はてしない物語には良く出てくる。)

息子を寝かしつけた後は、来週食べるおかずを2品作り冷凍する。家族にどんなに美味しいと言われても、いつになっても、料理は何だか苦手意識がある。なぜだろう。子供の頃一緒に住んでいた祖母が、プロ級に料理が上手だったからか…。料理中は、最近借りたビートルズホワイトアルバムを流した。ラジオや音楽を流しながら料理をするのがお気に入り。

f:id:Sweet-pea:20230129163106j:image
f:id:Sweet-pea:20230129163109j:image
f:id:Sweet-pea:20230129163113j:image

今日のやる事が全部終わった。疲れもあるけど、やはり子供のパニックに付き合った時は、精神的にイライラしたり、落ち着かなかったり、落ち込んだりして、心が揺らぐ。寝る前に、温かい紅茶を入れて、「はてしない物語」をもう30分だけ読む。心をしずめてから、ベッドに入る。

この身体に生まれて良かったこと

さて、この身体に生まれて良かったこと。について書いていきます。このブログでは、病気になって思った事、感じた事、なった人にしか分からない事、などを色々と書いています。中には、苦労した事や、辛かった事、自分の病気に悩んだ思春期の頃の事など、決して明るくない話題も多くあります。諦めなければばいけない事もありました。でも、苦労も多いけれど、その1つ1つから少しずつ何かを学んで大人になってきました。病気という経験は、決して「かわいそうな出来事」ではなく、他の人が経験できない、「貴重な経験」だとも思います。そんなのキレイ事だと言われるかもしれません。キレイ事であると分かっています。けれど、キレイ事かもしれないけれど、今悩んでいる子供達やそのご家族の方、そして「あの頃の自分」へ向けて、少しでも将来の“希望”みたいなものを、最初に伝えておきたくて、この記事を書きます。

この身体に生まれて良かった事。

〇ささいな当たり前の事に幸せを感じられるようになった

 この瞬間は今でもはっきりと覚えていて、この感覚は忘れられません。前回少し書いた13歳入院時、私は、2か月間ベッド上での生活で、そのほとんどを集中治療室で過ごしました。人工呼吸器もつけていました。2週間は飲食禁止、その後もドロドロのミキサー食から少しずつ、という生活を終え迎えた退院日。病院の正面玄関を出た瞬間の出来事でした。

生暖かい風が頬にあたる感触、

日差しがまぶしいという感覚、

木々や葉が風にゆらされている カサカサ という音。

五感で感じる全ての感覚が、今まで生きていて感じたものとは一変し、一言では表現しきれませんが、「幸せだな。ありがたいな。生きてるな。気持ちいいな。心地よいな。」と・・・。当たり前の世界に感動を覚えました。13歳のこの入院を経て、些細な当たり前の事に幸せを感じられるようになりました。幸せな事です。

そして、

◯ 何かを失ったり、何かが出来なくなっても、それを乗り越える過程・乗り越えられなくても向き合っていく過程で、必ず何か得られるものがあり、それは、その人をより豊かな人間にしてくれる。

という事を知りました。その何かは、人によって違うかもしれません。それに気付くのは後になってからかもしれません。当たり前の幸せだったり、家族や友人、支えてくれる人の愛情だったり。価値観だったり。自分の強さだったり、弱さだったり。

◯物事を多角的な視点で見れるようになった。

病気があるから悪かったことも、病気があったから良かったこともありました。物事には2面性、多面性があって、万華鏡のように色々な視点から見ると、感じ方、考え方、受け取り方、多様な見え方がある事を知りました。

◯早い段階から、将来の夢が決まっていた。

 小学生にあがる頃には、いつから決めたのかは分かりませんが、当たり前のように 、将来は看護師さんになるんだと決めていました。高校生になり、その夢を具体的に考えた時、リハビリ職である理学療法士に路線変更をしました。理由はありますが、究極、看護師さんでも、理学療法士でも、どちらでも良かったのかもしれません。自分の経験が役にたつならば。なので、将来何になりたいか分からない。という悩みは、私の場合はありませんでした。幸せな事でした。

(先天性心疾患の方でも、色々な職業・働き方をしている人がいます。家庭に入って頑張っている人もいます。色々な生き方があります。)

◯ 障害をもって生きるという事を知れた。世界には、色々な人がいて、それぞれが生きているという事を知れた。周りに優しくなれた。

◯ある日突然当たり前のことが出来なくなる、不安やもどかしさといった気持ちを知った。また、必ず、なった本人にしか分からない辛さ、本人も言葉では表現しきれない“思い”がある事を知った。

分かろうとしたり、歩み寄ることはとても大事です。それと共に「本人にしか分からない辛さがある」という事を“知っている”事が大切だと思います。「家族にしか分からない思い」も、あると思います。その事を忘れずいたいです。そういう医療従事者が増えてくれたらいいなと思うし、私もそういう医療従事者でありたいと思います。

 

「こんな身体に産んでしまって申し訳ない。と、もし、一度でも思った事があるのなら、それは違います。今まで起こった全ての事が、人生の糧となり、今の私がいます」

私が、結婚式の時に、母へ向けたスピーチで話した言葉です。この言葉に尽きると思います。病気を持っている事で、辛い事、悩む事、できない事も、多々あります。本当に辛いその時は、そんな前向きになんて考えられません。私も、今でも何かあると傷ついたり、前向きになれない瞬間もあります。でも、それを1つ1つ経験していくことで、その全てが少しずつ糧になって、“今の私”に繋がっているのだと思います。病気も悪いことばかりではありません。人生その繰り返しなのかもしれません。

 

現実には、進行性の疾患の方や、身体の機能としての回復は難しい方、様々な方がいて、私が今まで書いた事が、簡単な事ではないし、キレイ事かもしれない。と思うこともあります。しかし、「キレイ事」でも、大切に、いつも心に留めておこう。と思います。私は、リハビリの仕事をしていますが、辛くて、苦しくて、前が見えない、そんな人がいたら、近くに寄り添ってあげられる人で居たいと思います。無理やり、人を変えことは出来ないから、その人が自分から前に歩き出せるまで、隣にそっと寄り添っていてあげる事が、大切なのかなと思います。

 

※このブログは、以前書いた、「この身体に生まれて良かった事①」「この身体に生まれて良かった事②」「きれい事。かもしれないけど・・・」を編集し、掲載したものです。

自分の病気を知りたい〜幼い頃の記憶と記録〜

私は、生後まもなく、自宅にて顔色が悪くなりチアノーゼーとなり、救急車で搬送されました。大動脈弓離断症・心室中隔欠損症と診断され、入院し手術をしました。その後1度退院し自宅へ戻り、次の手術に耐えられるだけの身体の成長や、体力がついたところで、1歳くらいだったでしょうか。再び入院し、手術となりました。その後は、13歳の時に再手術をする訳ですが、その時の記憶はしっかりと覚えています。

幼いころから、身体には手術の傷跡があったので、間違いなく手術をしたのでしょうが、産まれてから3歳くらいまで、この辺りの記憶はほぼありません。自分の病気に対する知識や、自分の身体がどうなっているのかの認識(病識と言われるもの)は、両親や祖父母、親戚など、周りの人から聞いた話や、当時の思い出話から知ることが全てでした。それが、自分の病識となっていきました。

ここが、後天性(生まれつきの病気ではなく、成長する過程で発症した病気や障害)と先天性の大きな違いなのではないでしょうか。ある程度大人になってから病気になれば、直接お医者さんから説明を受け理解します。しかし、先天性の病気は生まれつきなので、病気の事や、手術の内容、日常生活で気を付けることなどの説明を最初に受けるのは、本人ではなく両親です。幼少期に受けた手術や入院の記憶を、はっきり覚えている事は難しいと思います。

 

今は、私たちの時代と違い、先天性心疾患の子供が成長し大人になる過程の『移行医療』という言葉が注目されてきました。ある程度の年齢になったら、先生や看護師さんから、「本人」に対して、直接、病気についての説明や、気をつけなければいけない事、今後の起こりうる事などを説明してくれる様になって来たそうです。将来の自分の身体を、自分自身で管理して付き合っていけるようになる事が、自立していく上で大切です。それを医療者側も重要だと認識してくれて、手助けしてくれて、“患者教育”と呼ばれる様な事が行われる様になってきている気がします。まだまだ、課題はあると思いますが、少しずつ、少しずつ「先天性心疾患」を取り巻く支援や理解や環境は、良くなっていると思います。このまま、更に、更に、先天性心疾患を持って産まれた子供達が、安心して大人になれるような世界になっていってほしいです。

 

もし、現在、先天性のご病気を持って産まれてきたお子さんを育てているお母さん、お父さんがいたら、お医者さんから説明された病気の事、手術の内容、入院していた時の事、実際に手術をしてどのような状況になったのか、などなどを出来る範囲でメモなどで残しておいてあげてほしいなと思います。お子さんの一大事にそんな余裕はないですよね。自分の気持ちを保つのも大変な事と思います。少し落ち着いてからでも、ほんの少しでも良いと思います。簡単なメモでも、手術の同意書を取って置くでも、手帳に日記をつけるでも、その時の自分が出来る範囲で、方法は、何でも良いと思います。

 

将来子供は大きくなり、いつかきっと「自分の身体の事、病気の事をもっと知りたい。」と思う時が来ると思います。その時の主治医に聞くこともできます。インターネットで調べることもできます。しかし、私が知りたかったのは、一般的な病気の説明ではなく、その時自分に何が起こったのか、その時どんな説明を受けて手術をしたのか、自分の身体に残っている傷跡はどこをどのように治療するためにできた跡なのか。自分の記憶からは消えてしまった当時の状況を知りたかったです。

私は、母や親戚から、当時の話を何度も聞きました。しかし、自分の事が本当に知りたくなってくるのは、手術から十何年もたった頃・・。母の記憶もうすれかけており、あいまいな部分もありました。そんな時、当時母が持ち歩いていたメモ帳の存在が、とても大きいものとなりました。母となった今、再度そのメモ帳を読むことで、当時どれほどの支えの中で命をつないでもらったのか、自分の身体の傷痕は、沢山の人たちに守られてきた証なのだと、少しそういう温かい思いで、自分のことを思える様になっていけた気がします。

未だにはっきりと分からないこともあります。例えば、わたしの右手首には、幼いころから、塞がりかけのピアスの穴くらい小さな穴が、ポチポチポチと4つ程あります。母いわく、「んー、点滴の跡?良く覚えてないや。」だそうです。

 このように、ささいな事が気になりだす年齢があります。私は、やはり思春期の頃だったかな。大人になった先天性の疾患を持つ皆さんは、どれくらい自分のことを知っているのでしょうか。

 

※このブログは、以前書いた「産まれた時の記憶と記録」を編集し掲載したものです。

大人になった先天性心疾患のブログ

はじめまして。

タイトルそのままですが、私は大人になった先天性心疾患の36歳女性です。“成人先天性心疾患(ACHD)”なんて言葉もありますね。この数年、新聞の特集記事や、ネットニュース、ソーシャルメディア等で、急激のこの言葉を聞くことが多くなりました。時代とともに医療が発達し、生まれつき身体に病を抱えていても、医療従事者の方々の支えや、家族の支えによって、救われる命が増えてきました。そして、病を抱えながらも大人になった先天性心疾患の患者が増加してきているそうです。

このブログは、成人した先天性心疾患の  本人  が書いているブログです。小学生・中学生・高校性・大学生(私は専門学生でしたが)・恋愛・結婚・仕事・妊娠出産・育児と、その時々に病気と向きあう中で、感じたこと、悩み、気づき、自分の身体との向き合い方・・・などなどを書いていきたいと思います。同じような大人になった先天性心疾患をお持ちの方や、これから大人になっていくあなた。そしてご家族・ご友人の方に、こんな一例もあるんだ。心臓の病と共に生きている仲間がいるんだ。と、このブログを通して“何か”を感じて頂ければ幸いです。

 

私がなぜブログを始めたのかについて、少しお話します。一言で言うと、「あの頃の私に向けて」書いています。あの頃の私は、同じ境遇の人に会いたかった。話を聞きたかった。それは、自分が周りの人とは違う身体だと認識しはじめた、10代後半から20代くらいの頃でしょうか。きっかけは、中学1年生の夏にうけた心臓の再手術でした。それまでは、自分の身体の傷跡も、病院に定期的に通うことも、運動制限があることも、自分の中の当たり前の事として認識し、大きな疑問ももたずに過ごせていたと思います。

 

 当時中学生だった私は、夏休みを利用して、1週間の予定で病院に入院しました。0歳の頃に入れた人工血管の再狭窄の治療の為です。しかし、当初の予定だった、バルーンカテーテルでの治療が上手くいかず、その後に受けたステントグラフト手術も失敗。最終的には、3度目の正直で、人工心肺を用いた胸骨正中切開による人工血管再置換術。という大きな手術となりました。分かりやすく説明させて頂くと、胸を開いて、赤ちゃんの頃に入れた古い人工血管を取り出し、新しい人工血管に付け替える手術でした。

 

この手術が成功し、容体も落ち着き、退院出来たのは、秋にさしかかろうとしていた時でした。ここから、私の人生は、今までの当たり前ものから、180度大きく変わりました。もともと胸の真ん中にあった薄くなりかけていた手術の傷跡は、もっともっと長くなり、そしてくっきりと身体に刻まれました。そして、何より大きかったのが、手術の合併症で左側の反回神経(声を出したり、食べ物飲み物を飲み込む際に働く、声帯の筋肉を動かす神経です。)を失った事です。これにより、今まで当たり前に行っていた、声を出す、会話をする、飲み物を飲む、食べ物を飲み込む、といった行為が、当たり前ではなくなりました。

 

病気を治すために入院したのに。

健康になるために入院したのに。

確かに、心臓の状態は健康に近づいたかもしれない。手術をしなければ死んでいたかもしれない。

でも、この感じはなんだろう。

当たり前の事が、ある日突然、当たり前に出来なくなってしまう感覚。

声を出すのが難しい感覚。

身体の真ん中に傷があるという感覚。

外からみて明らかな障害ではないが1日学校生活を送るのも大変なくらい体力がないという感覚。

 

書き出したら、きりがないけど、、

とにかく、本人にしかわからないこの感覚。というものがありました。

のちに、QOL(クオリティ オブ ライフ:生活の質)という言葉を知り、あぁ、私は当時手術によって心臓はよくなったけど、QOLが大きく低下したんだなと思いました。

 

ここで、問題だったのは、心臓の治療、手術に対しては専門家による熱心なフォローがあったけれども、退院後は、学校という社会に馴染んでいくにあたって、専門家や学校の特別なフォローがなかった事でした。今でこそ主流になりつつある、“心臓リハビリテーション”というものや、入院中のリハビリも、当時はほとんどありませんでした。

 

親のさじかげんと、本人の感覚で、徐々に登校時間を延ばし、授業や行事も周りの人と同じ様に参加しました。声が出ないから、音楽の歌のテストが嫌だった事、授業中に当てられて出ない声を出さなきゃいけなかった事、その細くかすれた声を冷やかす周囲の声があった事。ある先生には何かあったら大変だから体育は見学しなさいと言われ、あまりやらせてもらえないのに、他のある先生からは、マラソン大会の練習をなんで見学してるんだ。1周でも自分ができる範囲でやろうとは思わないのか。サボりたい気持ちがあるんじゃないのか。と言われた事。頑張ったら頑張り過ぎだと注意され、頑張らなければ甘えている怠けていると注意される。誰も、どのように日常生活に戻っていけば良いのか、正解を教えてくれる人はいませんでした。

 

そして私は徐々に、他に同じような境遇の人はいないのか、いたらどうやって過ごしているのだろうか。と思うようになりました。今のように、SNSや情報が少ない時代。ネットで検索しても、病気に対する一般的な知識や、親の会なるものは見つかりますが、本人の会は見つかりません。

同じ様な心疾患を抱えながら産まれてきた人は何処にいるのだろうか、なった人にしか分からない事や、同じような人がどのように生活しているのか・・・、知りたかった。

 

まとめます。

このブログは、

あの頃の私が、見つけたかったブログを、今の自分が書いています。

あの頃、してもらいたかった事を書いています。

 

人それぞれ、病気の種類も違うし、同じだとしても状況は十人十色。私が書いている事が、大人になった先天性心疾患の方全てが思っている事ではありません。でも、こんな一例もある。こんな風に生きている人もいる。と思って頂ければ…と思います。そして、先天性心疾患の方を支える全ての方へ。なにかの参考になれば、これほど嬉しいことはありません。

 

※このブログは、以前書いた「大人になった先天性心疾患のブログ」と「あの頃の私に捧ぐ」を編集し掲載したものです。

RRR

しばらくブログを更新していなかったら、2023年になっていました。あけましておめでとうございます。年末年始は、大掃除や実家訪問、家事・育児の傍ら、アニメの「スラムダンク」を見るのと、「本心」という小説を読むのとの、2本立てで、暇潰し&気分転換をしながら過ごしていました。

スラムダンク」は多分自分の世代にすごく流行った漫画・アニメでしたが、初視聴です。全部で100話もあるのですが、現在20話め。まだまだしばらくは楽しめそうです。今話題の映画も観てみたいです。珍しく、子供も一緒に見てくれて、親子で楽しめています。

「本心」は、平野啓一郎という作家さんが書いた小説です。舞台は“自由死”が選択できる2040年代の日本。主人公が、自由死を望みながら事故死した母親の本心を、生前の母を精巧に模したアバターとの交流の末に探っていく。という筋書きです。まだ読み途中です。ここから、息子が知らなかった母にまつわる事実が、隠していた母の本心が明らかになっていくみたいです。

久しぶりに映画も見ました。「RRR」というインド映画です。インド映画、しかも上演時間3時間という、一見怪しい映画ですが、一部の映画ファンの間では「RRRは絶対に見た方がいい」と話題になっていたそうです。私も、「本当に映画館で見てよかった!この映画を見逃さなくて良かった!」と思うほど面白くて、3時間スクリーンに釘付けでした。みうらじゅんもオススメしていましたが、映画を見る前に、売店でRRRの主人公達のシールが売っていたそうで、「こんなの誰が買うんだろう」と思っていたそうです。けれど、映画を見た後に欲しくなり真っ先に買いに行ったそうで、その気持ちがよく分かります。パンフレットは絶対に買おうと思ったのですが、売り切れ。でも「RRR」を薦めてくれた友人が、余分に買っていたそうで、1冊くれるそうで、それが2023年1番嬉しかったこと。

2023年も、楽しい漫画やアニメや映画を探して、充実した文化(オタク)活動を過ごせる1年になりますように。仕事や育児や家事は大変なことも多いけれど、そんな1人の世界が下支えしてくれて、何とか色々と頑張っていけますように。それにしても、このブログを書いている理由の『先天性心疾患』から、どんどん話題がずれてしまっているけれど、病気があっても、病気と一緒でも、病気と共に“生きて”いる、ドキュメンタリーだと思って、楽しく読んで頂ければ幸いです。黒澤明監督の映画“生きる”はイギリスでリメイクされて、日本でも春に公開されるそうですね。

今年もよろしくお願いします。

10月の戦利品と母心

今日は、婦人科クリニックへの通院でした。この1ヶ月は通院月間で、休みのたびに、腎臓内科や心臓(小児科)の検診がありました。せっかくのお休みの日が、通院で潰れてしまうのは、少しナーバスになることもあるけれど、先天性心疾患で生まれた宿命みたいなもので、生まれてから死ぬまで、病院への通院は必要なことなので、甘んじて受け入れます。それに、私はたまたま医療職についているから、通院で自分が感じた気持ちや思いや、先生とのやりとりとか、患者さん目線で感じたことを1つ1つちゃんと覚えておいて、自分がセラピストの立場としてお仕事をする時に、その思いを大切に取り扱っていけたらいいなと思います。

今日は婦人科帰りによったローソンで、こんなものを見つけました。スパイファミリークリアコレクションガム。通院を頑張ったご褒美に購入。

f:id:Sweet-pea:20221105211741j:image

さぁ、開封していきましょう。

1枚目、アーニャ・キメラさん

f:id:Sweet-pea:20221105211756j:image

2枚目、ヨルさん

f:id:Sweet-pea:20221105211809j:image

3枚目、アーニャ

f:id:Sweet-pea:20221105211819j:image

4枚目、ロイド

f:id:Sweet-pea:20221105211852j:image

5枚目、アーニャ・キメラさん

f:id:Sweet-pea:20221105211905j:image

6枚目、ロイド

f:id:Sweet-pea:20221105211913j:image

7枚目、アーニャ

f:id:Sweet-pea:20221105211922j:image

8枚目、ヨルさん

f:id:Sweet-pea:20221105211931j:image

クリアカードなので、透明感があってとても綺麗でした。

その他にも、ちょこちょこ集めている、アニメコレクションを載せていきます。

スパイファミリーから、ヨルさん・アーニャ・ロイド・ボンド(犬)

f:id:Sweet-pea:20221105213748j:image

マグカップ(ピーチゼリー入り)

f:id:Sweet-pea:20221105213804j:image

f:id:Sweet-pea:20221105213827j:image

クリアファイル

f:id:Sweet-pea:20221105213850j:image

これは、何でしょう?

f:id:Sweet-pea:20221105213907j:image

正解は、スパイファミリーの付箋でした。コロナ療養明けのお祝いに知り合いから頂きました。読書のお供にたくさん使ってますよ〜!!

f:id:Sweet-pea:20221105213938j:image

アーニャ飴

f:id:Sweet-pea:20221105215619j:image

今期は、アニメもドラマも豊作だそうで、私は、スパイファミリー・うる星やつらチェンソーマン・ジョジョの奇妙な冒険ポプテピピックを見ています。ドラマは、知人の勧めで、長澤まさみ主演の「エルピス」を見てみたら、面白くて見事にハマりました。月曜10時からです。

これは、ローソンでゲットした、うる星やつらのクリアファイル

f:id:Sweet-pea:20221105215651j:image

f:id:Sweet-pea:20221105215716j:image

ガチャガチャでゲットした、チェンソーマンのポチタ

f:id:Sweet-pea:20221105215737j:image

駿河屋」で探し出してゲットした、チェンソーマンおねむたんシリーズ

f:id:Sweet-pea:20221105215753j:image

私の推しのパワーちゃん

f:id:Sweet-pea:20221105215805j:image

 

以上、10月にゲットした戦利品でした。今月11月は息子の誕生日。8歳になった少年はプレゼントに何を欲しがるのでしょうか・・・。私の息子は、最初からブログを読んで下さっている人はご存知だと思いますが、カテゴリーに分けると「自閉スペクトラム症」という発達障害を持っています。小学校は支援級に通っていて、月に1回児童精神科にも通っています。息子の良いところは、たくさん挙げれますが、日々癇癪があったり、パニックになって暴れてしまったり、毎日の育児がとても大変なこともまた事実です。今まで、それを言うのは禁句だと思って、抑圧していましたが、息子の大変な育児を「なんでこんなに大変な子を産んでしまったんだろう。普通の子供を産んでいたらもっと楽だったのだろうか」と思うこともあります。それを思うたびに、それを思ってしまう自分に我が子に対する罪悪感も感じていました。けれど、最近は、その気持ちを持つことも自然な事だと思うようになりました。そう思ってしまう日は、きっと大変だった1日を、息子とともに何とか頑張って生き抜いた日なのだから。「特性を持つ息子との日々がなんて大変なんだ。」と思ってしまう気持ちと、「息子が可愛い、大好きだ。」という2つの気持ちは、どうやら、1人の母親の心の中で、両立するようです。両方の気持ちが自分の中にある事をまずは認めていきたいと思います。育児が大変だ、辛いと思う自分の気持ち。息子のことが可愛いと思う気持ち。両方を感じながら、そんな息子のことをこれからも愛し続けようと思います。

8歳のお誕生日おめでとう。

 

おしまい。

秋だより

10月になりました。きっとここから、年末まで駆け足で過ぎ去っていくのでしょう。残り3か月、仕事に読書にアニメに落語に息子の誕生日に、いっぱい楽しいことを詰め込んで、過ごしていきたいと思います。さて、9月は書きたいと思っていた題材が3つあり、その3つを盛り込んだ1つの長いブログを仕上げようと思っていたのですが、なかなかやる気になれずに断念しました。書こうと思っていたブログの題材は、①秋だより ②あのころの夢(仮) ③ロングヘア(仮)の3つ。上手く文章が書けないならば、1つの記事を短くして、書きやすいものから書いてみよう。ということで、今日のブログは、『秋だより』。

 

2022年9月、我が家に届いた秋だよりは、息子が放課後デイサービスのお友達と行ってきた「お芋ほり」で収穫した、『さつまいも』です。さつまいも、特に石焼き芋は祖母の大好物で、外から「い~しや~きいも、やきいも~♬」という音が聞えてくると、飛んで外に出て買いに走っていました。今ではあまり見かけなくなりましたね。石焼き芋の移動販売。話が脱線しましたが、息子は満面の笑みで、お芋ほりから帰ってきました。泥だらけになった長靴に、さつまいもが沢山入ったビニール袋を両手で抱え(これが結構重い。)、「ママ、これで焼き芋とスイートポテト作ってほしい!」とリクエストつきで・・・。

と、いうことで、ここからは、写真を使って、さつまいも三昧した9月の様子を書いていきたいと思います。

 

↓これが、息子が収穫してきたさつまいも。スーパーで売っているものより、形はいびつですが、大きさは大きくて、土がついたままのさつまいもです。さつまいもは、土がついた状態で保存した方が日持ちするそうです。そして、後から知ったのですが、収穫してすこし寝かせてから(時間が経ってから)、料理した方が、甘味が増すそうです。

f:id:Sweet-pea:20220919045818j:image

 

↓土を丁寧に落としてみると、綺麗な紅色のさつまいもが顔を出しました。
f:id:Sweet-pea:20220919045802j:image

 

↓まずは、息子のリクエストの1つめ、『焼き芋』を作ります。アルミホイルで包んで、オーブントースターで40分ほど焼くと、甘くてホクホクな焼き芋が出来上がりました。
f:id:Sweet-pea:20220919045821j:image

 

↓続いて、息子のリクエスト2つ目、『スイートポテト』です。スイートポテトを作るのは、高校生の時以来です。つまり約20年振り。意外と簡単なお菓子ですが、上手くできるでしょうか。材料は、こちら。お芋は、輪切りにして、電子レンジでやわらかくしておきます。牛乳に、バターに、お砂糖。
f:id:Sweet-pea:20220919045808j:image

 

↓やわらかくしておいた、お芋をハンドミキサーで潰していきます。マッシャーを使っても、木べらを使っても、とにかく潰せれば大丈夫です。そこにお砂糖と牛乳を少しずつ入れて、生地をなめらかにしていきます。
f:id:Sweet-pea:20220919045824j:image

 

↓生地が出来上がったら、形を成形していきます。まん丸でも良いのですが、今回は楕円型にしてみました。そして、卵の黄身を・・・、

f:id:Sweet-pea:20220919045806j:image

 

↓表面に塗ります。本当ははけを使って塗るのでしょうが、我が家にはけはなかったので、スプーンの背を使って塗りました。卵の黄身を塗ることで、焼き上がりがつやつやと美味しそうに仕上がります。
f:id:Sweet-pea:20220919045814j:image

 

↓トースターで表面に焼き色がつくまで焼くと、完成です。形はいびつになってしまいましたが、息子は美味しいとたくさん食べてくれました。良かった、20年振りに作ったかいがありました。
f:id:Sweet-pea:20220919045759j:image

 

↓さて、まださつまいもは余っています。最後は、小ぶりなさつまいもを2つ使って、

f:id:Sweet-pea:20221001074400j:image

 

↓さつまいもご飯を作りました。しゃもじで混ぜるとほろほろ崩れて、ちょうど良い大きさのさつまいもになります。息子には好評。イモ類がそんなに好きではない夫は微妙な顔をして食べていました。秋らしくていいと思うんだけどな。
f:id:Sweet-pea:20221001074403j:image

 

さあ、残るさつまいもは、大きめのが2つ。最後は何を作ろうか、リクエスト募集中です。

 

「秋だより」おしまい。