Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

自分の病気を知りたい〜幼い頃の記憶と記録〜

私は、生後まもなく、自宅にて顔色が悪くなりチアノーゼーとなり、救急車で搬送されました。大動脈弓離断症・心室中隔欠損症と診断され、入院し手術をしました。その後1度退院し自宅へ戻り、次の手術に耐えられるだけの身体の成長や、体力がついたところで、1歳くらいだったでしょうか。再び入院し、手術となりました。その後は、13歳の時に再手術をする訳ですが、その時の記憶はしっかりと覚えています。

幼いころから、身体には手術の傷跡があったので、間違いなく手術をしたのでしょうが、産まれてから3歳くらいまで、この辺りの記憶はほぼありません。自分の病気に対する知識や、自分の身体がどうなっているのかの認識(病識と言われるもの)は、両親や祖父母、親戚など、周りの人から聞いた話や、当時の思い出話から知ることが全てでした。それが、自分の病識となっていきました。

ここが、後天性(生まれつきの病気ではなく、成長する過程で発症した病気や障害)と先天性の大きな違いなのではないでしょうか。ある程度大人になってから病気になれば、直接お医者さんから説明を受け理解します。しかし、先天性の病気は生まれつきなので、病気の事や、手術の内容、日常生活で気を付けることなどの説明を最初に受けるのは、本人ではなく両親です。幼少期に受けた手術や入院の記憶を、はっきり覚えている事は難しいと思います。

 

今は、私たちの時代と違い、先天性心疾患の子供が成長し大人になる過程の『移行医療』という言葉が注目されてきました。ある程度の年齢になったら、先生や看護師さんから、「本人」に対して、直接、病気についての説明や、気をつけなければいけない事、今後の起こりうる事などを説明してくれる様になって来たそうです。将来の自分の身体を、自分自身で管理して付き合っていけるようになる事が、自立していく上で大切です。それを医療者側も重要だと認識してくれて、手助けしてくれて、“患者教育”と呼ばれる様な事が行われる様になってきている気がします。まだまだ、課題はあると思いますが、少しずつ、少しずつ「先天性心疾患」を取り巻く支援や理解や環境は、良くなっていると思います。このまま、更に、更に、先天性心疾患を持って産まれた子供達が、安心して大人になれるような世界になっていってほしいです。

 

もし、現在、先天性のご病気を持って産まれてきたお子さんを育てているお母さん、お父さんがいたら、お医者さんから説明された病気の事、手術の内容、入院していた時の事、実際に手術をしてどのような状況になったのか、などなどを出来る範囲でメモなどで残しておいてあげてほしいなと思います。お子さんの一大事にそんな余裕はないですよね。自分の気持ちを保つのも大変な事と思います。少し落ち着いてからでも、ほんの少しでも良いと思います。簡単なメモでも、手術の同意書を取って置くでも、手帳に日記をつけるでも、その時の自分が出来る範囲で、方法は、何でも良いと思います。

 

将来子供は大きくなり、いつかきっと「自分の身体の事、病気の事をもっと知りたい。」と思う時が来ると思います。その時の主治医に聞くこともできます。インターネットで調べることもできます。しかし、私が知りたかったのは、一般的な病気の説明ではなく、その時自分に何が起こったのか、その時どんな説明を受けて手術をしたのか、自分の身体に残っている傷跡はどこをどのように治療するためにできた跡なのか。自分の記憶からは消えてしまった当時の状況を知りたかったです。

私は、母や親戚から、当時の話を何度も聞きました。しかし、自分の事が本当に知りたくなってくるのは、手術から十何年もたった頃・・。母の記憶もうすれかけており、あいまいな部分もありました。そんな時、当時母が持ち歩いていたメモ帳の存在が、とても大きいものとなりました。母となった今、再度そのメモ帳を読むことで、当時どれほどの支えの中で命をつないでもらったのか、自分の身体の傷痕は、沢山の人たちに守られてきた証なのだと、少しそういう温かい思いで、自分のことを思える様になっていけた気がします。

未だにはっきりと分からないこともあります。例えば、わたしの右手首には、幼いころから、塞がりかけのピアスの穴くらい小さな穴が、ポチポチポチと4つ程あります。母いわく、「んー、点滴の跡?良く覚えてないや。」だそうです。

 このように、ささいな事が気になりだす年齢があります。私は、やはり思春期の頃だったかな。大人になった先天性の疾患を持つ皆さんは、どれくらい自分のことを知っているのでしょうか。

 

※このブログは、以前書いた「産まれた時の記憶と記録」を編集し掲載したものです。