Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

この身体に生まれて良かったこと

さて、この身体に生まれて良かったこと。について書いていきます。このブログでは、病気になって思った事、感じた事、なった人にしか分からない事、などを色々と書いています。中には、苦労した事や、辛かった事、自分の病気に悩んだ思春期の頃の事など、決して明るくない話題も多くあります。諦めなければばいけない事もありました。でも、苦労も多いけれど、その1つ1つから少しずつ何かを学んで大人になってきました。病気という経験は、決して「かわいそうな出来事」ではなく、他の人が経験できない、「貴重な経験」だとも思います。そんなのキレイ事だと言われるかもしれません。キレイ事であると分かっています。けれど、キレイ事かもしれないけれど、今悩んでいる子供達やそのご家族の方、そして「あの頃の自分」へ向けて、少しでも将来の“希望”みたいなものを、最初に伝えておきたくて、この記事を書きます。

この身体に生まれて良かった事。

〇ささいな当たり前の事に幸せを感じられるようになった

 この瞬間は今でもはっきりと覚えていて、この感覚は忘れられません。前回少し書いた13歳入院時、私は、2か月間ベッド上での生活で、そのほとんどを集中治療室で過ごしました。人工呼吸器もつけていました。2週間は飲食禁止、その後もドロドロのミキサー食から少しずつ、という生活を終え迎えた退院日。病院の正面玄関を出た瞬間の出来事でした。

生暖かい風が頬にあたる感触、

日差しがまぶしいという感覚、

木々や葉が風にゆらされている カサカサ という音。

五感で感じる全ての感覚が、今まで生きていて感じたものとは一変し、一言では表現しきれませんが、「幸せだな。ありがたいな。生きてるな。気持ちいいな。心地よいな。」と・・・。当たり前の世界に感動を覚えました。13歳のこの入院を経て、些細な当たり前の事に幸せを感じられるようになりました。幸せな事です。

そして、

◯ 何かを失ったり、何かが出来なくなっても、それを乗り越える過程・乗り越えられなくても向き合っていく過程で、必ず何か得られるものがあり、それは、その人をより豊かな人間にしてくれる。

という事を知りました。その何かは、人によって違うかもしれません。それに気付くのは後になってからかもしれません。当たり前の幸せだったり、家族や友人、支えてくれる人の愛情だったり。価値観だったり。自分の強さだったり、弱さだったり。

◯物事を多角的な視点で見れるようになった。

病気があるから悪かったことも、病気があったから良かったこともありました。物事には2面性、多面性があって、万華鏡のように色々な視点から見ると、感じ方、考え方、受け取り方、多様な見え方がある事を知りました。

◯早い段階から、将来の夢が決まっていた。

 小学生にあがる頃には、いつから決めたのかは分かりませんが、当たり前のように 、将来は看護師さんになるんだと決めていました。高校生になり、その夢を具体的に考えた時、リハビリ職である理学療法士に路線変更をしました。理由はありますが、究極、看護師さんでも、理学療法士でも、どちらでも良かったのかもしれません。自分の経験が役にたつならば。なので、将来何になりたいか分からない。という悩みは、私の場合はありませんでした。幸せな事でした。

(先天性心疾患の方でも、色々な職業・働き方をしている人がいます。家庭に入って頑張っている人もいます。色々な生き方があります。)

◯ 障害をもって生きるという事を知れた。世界には、色々な人がいて、それぞれが生きているという事を知れた。周りに優しくなれた。

◯ある日突然当たり前のことが出来なくなる、不安やもどかしさといった気持ちを知った。また、必ず、なった本人にしか分からない辛さ、本人も言葉では表現しきれない“思い”がある事を知った。

分かろうとしたり、歩み寄ることはとても大事です。それと共に「本人にしか分からない辛さがある」という事を“知っている”事が大切だと思います。「家族にしか分からない思い」も、あると思います。その事を忘れずいたいです。そういう医療従事者が増えてくれたらいいなと思うし、私もそういう医療従事者でありたいと思います。

 

「こんな身体に産んでしまって申し訳ない。と、もし、一度でも思った事があるのなら、それは違います。今まで起こった全ての事が、人生の糧となり、今の私がいます」

私が、結婚式の時に、母へ向けたスピーチで話した言葉です。この言葉に尽きると思います。病気を持っている事で、辛い事、悩む事、できない事も、多々あります。本当に辛いその時は、そんな前向きになんて考えられません。私も、今でも何かあると傷ついたり、前向きになれない瞬間もあります。でも、それを1つ1つ経験していくことで、その全てが少しずつ糧になって、“今の私”に繋がっているのだと思います。病気も悪いことばかりではありません。人生その繰り返しなのかもしれません。

 

現実には、進行性の疾患の方や、身体の機能としての回復は難しい方、様々な方がいて、私が今まで書いた事が、簡単な事ではないし、キレイ事かもしれない。と思うこともあります。しかし、「キレイ事」でも、大切に、いつも心に留めておこう。と思います。私は、リハビリの仕事をしていますが、辛くて、苦しくて、前が見えない、そんな人がいたら、近くに寄り添ってあげられる人で居たいと思います。無理やり、人を変えことは出来ないから、その人が自分から前に歩き出せるまで、隣にそっと寄り添っていてあげる事が、大切なのかなと思います。

 

※このブログは、以前書いた、「この身体に生まれて良かった事①」「この身体に生まれて良かった事②」「きれい事。かもしれないけど・・・」を編集し、掲載したものです。