Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

大人になった先天性心疾患のブログ

はじめまして。

タイトルそのままですが、私は大人になった先天性心疾患の36歳女性です。“成人先天性心疾患(ACHD)”なんて言葉もありますね。この数年、新聞の特集記事や、ネットニュース、ソーシャルメディア等で、急激のこの言葉を聞くことが多くなりました。時代とともに医療が発達し、生まれつき身体に病を抱えていても、医療従事者の方々の支えや、家族の支えによって、救われる命が増えてきました。そして、病を抱えながらも大人になった先天性心疾患の患者が増加してきているそうです。

このブログは、成人した先天性心疾患の  本人  が書いているブログです。小学生・中学生・高校性・大学生(私は専門学生でしたが)・恋愛・結婚・仕事・妊娠出産・育児と、その時々に病気と向きあう中で、感じたこと、悩み、気づき、自分の身体との向き合い方・・・などなどを書いていきたいと思います。同じような大人になった先天性心疾患をお持ちの方や、これから大人になっていくあなた。そしてご家族・ご友人の方に、こんな一例もあるんだ。心臓の病と共に生きている仲間がいるんだ。と、このブログを通して“何か”を感じて頂ければ幸いです。

 

私がなぜブログを始めたのかについて、少しお話します。一言で言うと、「あの頃の私に向けて」書いています。あの頃の私は、同じ境遇の人に会いたかった。話を聞きたかった。それは、自分が周りの人とは違う身体だと認識しはじめた、10代後半から20代くらいの頃でしょうか。きっかけは、中学1年生の夏にうけた心臓の再手術でした。それまでは、自分の身体の傷跡も、病院に定期的に通うことも、運動制限があることも、自分の中の当たり前の事として認識し、大きな疑問ももたずに過ごせていたと思います。

 

 当時中学生だった私は、夏休みを利用して、1週間の予定で病院に入院しました。0歳の頃に入れた人工血管の再狭窄の治療の為です。しかし、当初の予定だった、バルーンカテーテルでの治療が上手くいかず、その後に受けたステントグラフト手術も失敗。最終的には、3度目の正直で、人工心肺を用いた胸骨正中切開による人工血管再置換術。という大きな手術となりました。分かりやすく説明させて頂くと、胸を開いて、赤ちゃんの頃に入れた古い人工血管を取り出し、新しい人工血管に付け替える手術でした。

 

この手術が成功し、容体も落ち着き、退院出来たのは、秋にさしかかろうとしていた時でした。ここから、私の人生は、今までの当たり前ものから、180度大きく変わりました。もともと胸の真ん中にあった薄くなりかけていた手術の傷跡は、もっともっと長くなり、そしてくっきりと身体に刻まれました。そして、何より大きかったのが、手術の合併症で左側の反回神経(声を出したり、食べ物飲み物を飲み込む際に働く、声帯の筋肉を動かす神経です。)を失った事です。これにより、今まで当たり前に行っていた、声を出す、会話をする、飲み物を飲む、食べ物を飲み込む、といった行為が、当たり前ではなくなりました。

 

病気を治すために入院したのに。

健康になるために入院したのに。

確かに、心臓の状態は健康に近づいたかもしれない。手術をしなければ死んでいたかもしれない。

でも、この感じはなんだろう。

当たり前の事が、ある日突然、当たり前に出来なくなってしまう感覚。

声を出すのが難しい感覚。

身体の真ん中に傷があるという感覚。

外からみて明らかな障害ではないが1日学校生活を送るのも大変なくらい体力がないという感覚。

 

書き出したら、きりがないけど、、

とにかく、本人にしかわからないこの感覚。というものがありました。

のちに、QOL(クオリティ オブ ライフ:生活の質)という言葉を知り、あぁ、私は当時手術によって心臓はよくなったけど、QOLが大きく低下したんだなと思いました。

 

ここで、問題だったのは、心臓の治療、手術に対しては専門家による熱心なフォローがあったけれども、退院後は、学校という社会に馴染んでいくにあたって、専門家や学校の特別なフォローがなかった事でした。今でこそ主流になりつつある、“心臓リハビリテーション”というものや、入院中のリハビリも、当時はほとんどありませんでした。

 

親のさじかげんと、本人の感覚で、徐々に登校時間を延ばし、授業や行事も周りの人と同じ様に参加しました。声が出ないから、音楽の歌のテストが嫌だった事、授業中に当てられて出ない声を出さなきゃいけなかった事、その細くかすれた声を冷やかす周囲の声があった事。ある先生には何かあったら大変だから体育は見学しなさいと言われ、あまりやらせてもらえないのに、他のある先生からは、マラソン大会の練習をなんで見学してるんだ。1周でも自分ができる範囲でやろうとは思わないのか。サボりたい気持ちがあるんじゃないのか。と言われた事。頑張ったら頑張り過ぎだと注意され、頑張らなければ甘えている怠けていると注意される。誰も、どのように日常生活に戻っていけば良いのか、正解を教えてくれる人はいませんでした。

 

そして私は徐々に、他に同じような境遇の人はいないのか、いたらどうやって過ごしているのだろうか。と思うようになりました。今のように、SNSや情報が少ない時代。ネットで検索しても、病気に対する一般的な知識や、親の会なるものは見つかりますが、本人の会は見つかりません。

同じ様な心疾患を抱えながら産まれてきた人は何処にいるのだろうか、なった人にしか分からない事や、同じような人がどのように生活しているのか・・・、知りたかった。

 

まとめます。

このブログは、

あの頃の私が、見つけたかったブログを、今の自分が書いています。

あの頃、してもらいたかった事を書いています。

 

人それぞれ、病気の種類も違うし、同じだとしても状況は十人十色。私が書いている事が、大人になった先天性心疾患の方全てが思っている事ではありません。でも、こんな一例もある。こんな風に生きている人もいる。と思って頂ければ…と思います。そして、先天性心疾患の方を支える全ての方へ。なにかの参考になれば、これほど嬉しいことはありません。

 

※このブログは、以前書いた「大人になった先天性心疾患のブログ」と「あの頃の私に捧ぐ」を編集し掲載したものです。