Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

日記〜チーズinハンバーグ〜

 

連日の猛暑ですが、皆さん夏バテしてないですか?

今年の夏は、

「皆んなで健康なまま“(コロナ渦で猛暑の)特別な夏”を乗り越えよう!」

というスローガンを掲げて仕事をしています。健康の形は人によって異なるだろうし、病気があっても、障害があっても、何歳でも、結局の所、その人なりの最適な状態でいられれば、「今の私は健康です」と思っていいのだと思います。先天性の病気で産まれたら、一生自分の事を「健康です」と言っちゃいけないなんておかしいですね。そういえば、10代、20代の頃は、履歴書を書く度に、健康状態を「良好」と書けなくて、切ない思いをしたものです。何も考えずに、当たり前のように“良好”と書いている友達が羨ましかった。同じような経験された方いるかな?

今は、その人、その人、それぞれに、“健康” の形があるのだと思っています。

 

簡単に書いちゃったけど、自分の“最適な状態”を探していくのって難しいだろうな・・・。私はその手助けを出来ているのだろうか・・・。

 

話を猛暑に戻して、

私は毎年夏になると食欲が無くなって少しだけ痩せます。しかし、今年は、自分でこんなスローガンを掲げた手前、意識的にしっかりとご飯を食べ、睡眠もちゃんととるように心がけてみました。外回りの毎日。ちゃんとしてないとあっという間に倒れそうです。その甲斐もあってか、暑さにも負けず、心も折れず、働けていた今日この頃。昨日の事でした。ある同僚の理学療法士が、仕事中に熱中症を発症し、クリニックで点滴をしてもらう事態となりました。20代の若い青年だったから少し驚いて、でも倒れる前に点滴をうててよかったねと、少し安心していました。しかし、今朝出勤すると、昨晩、彼が救急搬送されたと言うのです。もちろん命に関わる事態では無かったようですが、熱中症ってやっぱり怖いです。そんなこんなで、身近な人が倒れたとう事態に、私の心は引っ張られ、弱気になり、今日の暑さはいつも以上に身体にこたえました。

 

そんな今晩の息子の夕飯リクエストは「チーズinハンバーグ」です。

疲労蓄積のママは華麗にそれを却下し、「ネギトロ&サーモンのすき身丼」になりました。乗っけるだけ。チーズinハンバーグは明日の夜ね♡

 

おしまい。

2つの思い

子供が欲しいと思った時、子への遺伝について考えたことは以前お話しした通りです。もし、心疾患が遺伝したとしても、それは不幸な事ではないし、健康な子が産まれようが、病気の子が産まれようが、変わらぬ姿勢で迎えようと思っていました。それは、自分の存在を肯定する事でもあったのだと思います。

 

ただ、不思議なのはこの思いはこの思いで、出産まで変わらなかったのですが、この思いとは別の所に違う思いも出てきました。それは、お腹が膨らんできて、お腹の中で子供が動くようになってから、徐々にでしょうか。「どうか、元気な身体で生まれますように。」という、普通のお母さんだったら当たり前かもしれないけど、そんな思いもまた出始めました。

 

「心疾患で生まれてきたとしても幸せになれるよ。私が一番の理解者になってあげる。」

という思いと、

「どうか、元気な体で生まれてきますように。」

という思い。

妊娠中の私は、この両者の思いが混在していたと思います。

 

そして、出産後、その小さな身体を目の前にした時、後者の思いはより強くなりました。この子に、手術や注射、痛い・辛い思いをさせたくない。心臓がどうか元気なままでいますように。と心から願いました。「病気を持って生まれてきてもいいよ。」と思っていたのに。

 

おそらく、私の中には、

先天性心疾患当事者である自分の思いと、

母親となった自分の純粋な思いが、

同時に存在していたんだと思います。

 

病気を持って生まれ生きていく人生を可哀想な人生だと思わないで欲しい。病気と共に生きていく自分の人生を肯定してもらいたい。病気がある事を不幸な事だと思わないで欲しい。という思いと、この小さな小さな我が子に、痛い・辛い思いを、可哀想な思いをさせたくない。という思い。

 

相反するような2つの思いですが、どちらも私の本当の思いでした。

 

おしまい。

先天性心疾患と妊娠・出産 ②~妊娠から出産までの流れ~

今日は、妊娠が分かってから産むまでの経過を書いてみたいと思います。

 

妊娠検査薬で陽性がでてから

  まず行ったのは、近所の産婦人科クリニックでした。そこで、胎嚢と呼ばれる赤ちゃんの袋みたいなものが確認できました。そこから何回目かの受診で赤ちゃんの心拍が確認出来ました。一般的には、そこから産む病院や助産院等を探していくのだと思いますが、私がまず行ったところは、いつも心臓を診てくれている大学病院。そこで、主治医の先生に妊娠した事を報告し、今後の相談をさせて頂きました。

 

産む病院の選択

まず先生と話し合ったのは、どの病院で産むか。もちろん、通院している大学病院で産む事も出来ます。ただ、その時住んでいた自宅から病院までの距離が少し遠く(電車で1時間半以上)、大きなお腹になってから通う大変さや、陣痛が来てから病院に向かう時間などを考えると、他の病院で産む事も選択肢に入れてもいいと先生から説明を受けました。

 

病院選びの条件としては、

① 先天性心疾患を診れる小児科の先生がいる事

② 小児科と産科でしっかりと連携をとっている事

NICUがある事 (産まれた子に心疾患があった場合に対応出来るから)

 

こんな感じだったと思います。先生は、私が住んでいる地域の病院に紹介状を書いてもいいと提案もしてくれました。私は悩みました。1人じゃどちらか決めきれずに、出産の先輩である、母や義母に相談をしました。すると、2人の答えは一緒で、

「主治医がいる大学病院で産んで欲しい。」

でした。理由は、「あなたが心配だから」。産まれてからこれまでの、手術や検査の記録が全てあって、主治医の先生もいて、設備も整っている、この病院で産んで欲しい。と、そういう事でした。2人の母にそう言われて、確かにそうだな。と私も思いました。それに、もし産まれてくる子供に心疾患があったら、やっぱり自分と同じ病院で診てもらいたいし、もし、出産に際して、自分の身に何かがあったとしても、今まで何度も命を助けてくれたこの病院なら、安心して身を任せられる。病院に対する信頼感がある。赤ちゃんの頃からずっと通っている病院。愛着のある病院。人生の節目である出産。そのんな思いで、馴染みのある大学病院で出産する事に決めました。

 

出産までの流れ

 

「この病院で産ませて下さい。」と主治医にお願いすると、出産までの流れを説明してくれました。説明された内容と、実際にどんな流れだったのかを思い出してざっと書き出してみます。

 

最初に説明された事

◯ 出産までは、小児科(心臓外来)と産科両方でフォローしていく。

◯ 特に、心臓への負荷が高まる妊娠後期は注意深く観察していく。

◯ お腹の中の赤ちゃんには、胎児心エコーを行い、出産前に心臓に異常がないか検査をする。

◯ 最後まで問題なければ自然分娩が可能。

 

実際の流れ

◯ 妊娠20週目くらいまでは、近所の産婦人科クリニックの検診で診てもらいました。その間、月1回の頻度で大学病院に通い、心臓の状態を確認してもらいました。

◯ (息子は11月生まれ)7月頃から、大学病院の産科に移りました。受診は月2回。産科での検診・診察の後、必ず小児科の外来へ寄るように言われ、月2回の頻度で、心臓の状態を確認してもらいました。

◯ 妊娠後期は、産科外来とともに、週1回の頻度で心臓の状態を確認してもらいました。

◯ 途中、妊娠糖尿病や、切迫早産など、産科的なトラブルはありましたが、心不全の悪化はなく、40週と1日で自然分娩にて出産しました。陣痛開始から分娩までは心電図モニターをつけていました。途中、心臓の主治医も駆けつけて下さり、様子を覗きにきてくれました。

◯出産後、新生児室にて、私の心臓の主治医が、赤ちゃんの心音に異常がないか確認しに来てくれました。

 

妊娠・出産の状況は人それぞれで、心臓の状態、環境、色々な要因があると思います。なので、参考にならないかもしれないけど、こんな一例もあると、誰かの参考になればいいなと思って書きました。先天性心疾患と妊娠・出産で一番大事な事は、産科の先生だけでなく、先天性心疾患がきちんと診れる先生にも診察をしてもらって、どのようなお産にするか相談する事だと思います。

 

 

日記〜猛暑と歯医者〜

ここ数日は、猛暑ですね。リハビリで毎日色々なお宅を渡り歩いていますが、中には、エアコンが壊れてしまっているお宅や、エアコン自体が付いていないお宅もあります。家族がいる方ならまだしも、高齢者のお一人暮らしの方もいて。この時期に一番大切なのは、生存の確認、健康状態の確認、水分は取っているか、食欲はあるか、熱中症対策はしているか、など、この夏を健康に乗り切れるお手伝いが一番大切だったりして。そこに、過負荷にならない程度にリハビリを加えて・・・・。楽しく会話をして、いい表情になってくれれば。

などと、考えていた1日でした。

 

そうなると、自分の健康管理も大事ですね。私が夏バテしてる訳には行きません。移動中の猛暑は身体にこたえますが、患者さん・利用者さんと一緒にこの夏を乗り切る気持ちで頑張ります。

 

さて、昨日は息子の歯医者でした。前回は、歯科衛生士さんの治療でしたが、今回は先生。息子はもちろん嫌がっていて、なんとか歯医者さんに連れて行ったものの、待合室で、久しぶりのプチ癇癪。私の顔に引っ掻き傷ができました。(息子の爪をしっかりと切っていなかった私が悪い。)うっすらと、血が滲んできた私の顔を見て、息子がすぐに「ごめんね〜ごめんね!!」と。その後、なんとか診察室に入りましたが、治療を拒否し続ける息子に、先生は「今日は無理そうだね〜。治療中に暴れたら危ないしね・・。」と。

 

その後、先生と相談して。虫歯も少し進行してしまっているし、いったん大学病院の障害歯科で治してしまって。それと並行して、歯医者さんが嫌いにならない様に、このクリニックで、歯科衛生士さんの診察は定期的に続けていこう。と言う事になりました。次回までに、紹介状を書いてくれるそう。大学病院の歯医者さん、土曜診療してるかな〜。してるといいな。障害児歯科って、一体どんな感じなんだろう。

 

療育センターという所も、特別支援相談センターも、特別支援学級も、放課後デイサービスも、障害児歯科も。発達障害という特徴を持った子を取り巻く色んな世界。息子がいなかったら、きっと何も知らないで生きていたんだろうな。私は、割と色々経験してきている方だと思っていたけど、息子といるとまだまだ新しい体験ばかりです。

 

おしまい。

日記〜クリニックと放課後デイサービス〜

2020.8.12 (水)

 

今日は、午前中は精神科クリニックの受診。大学病院の定期検診がもう時期あるのですが、心臓の主治医に、今飲んでいる薬とか、今の状況・状態をどう説明しようか、悩んでいました。それをクリニックの先生に相談したら、書面にしてくれるというので、とても助かりました。年に1〜2回の定期検診。大体は、最初に、レントゲン・心電図を撮った後に、先生の診察。必要に応じて心エコーという流れです。いつもの流れがあるので、新しい話を放り込むタイミングって中々難しいなぁと思います。書面があれば、話し出し易いですね。面倒をおかけしてしまいますが、先生に感謝です。心臓の主治医の先生とは、妊娠期間中は毎月お会いしていたので、色々話しやすかったのですが、年1、2回になってからは、中々・・・、必要最低限の会話になってしまっていました。ちなみに、主治医は3代目です。最初の主治医の先生は赤ちゃんから小学生までみてくれて。小学高学年くらいから、2代目の主治医になって。この先生の時に、大きな手術をしました。そして、高校生の途中くらいから、今診てもらっている先生になりました。これを機に、また少しラポールが深まるといいな。

 

午後は、来年度へ向けて、息子の“放課後デイサービス”を1か所見学に行きました。記録がてらに、少し概要を書いてみます。

 

放課後デイサービスA

・完全送迎(平日は学校まで迎えに行ってくれて、帰りは自宅まで送ってくれる)

・平日 学校終了後〜17:30まで

 休日(夏休み等)10:00〜16:30、施設まで親が送迎するなら8:30か利用可。夕方は延長も可。

・部屋は2つあり、1部屋10名、定員20名。

・コンセプトは、遊び重視の放課後デイ

・見学してみた感想。

 ⇨子供たちがそれぞれに自由に遊んでいた。「何て名前なの?」「いつから来るの〜?」「どこの小学校行くの〜?」「僕、同じ小学校だよ!今1年生。」プログラムは少なそうだけど、子供達の表情は印象がよかった。つまらなそうにしている子供はほとんどいない。私に笑顔で話しかけに来てくれる子が多くて、可愛かった。それに、息子と同じ小学校のお兄さんも通っているのは心強い。ここなら、お友達も出来そう。遊び主体で、放課後のびのびと過ごせそうな印象。好印象。マイナスをあげるとしたら、少し家から遠いので、緊急時に迎えにいくのが大変。夏休みの朝は、私達が仕事に行った後の時間にお迎えに来る為、朝の1時間1人でお留守番させるか、親の仕事の時間をずらすか工夫が必要。

 

申し込みが始まるのは、12月頃。

それまでにもう数カ所、見学してみよう。

 

最近の息子の可愛かった一言。

「パパ―、ママにチューしてあげて。

そしたら、愛が固まってハートが赤くなるから」

 

どこでそんな事教えてもらったんだ(笑)!

 

おしまい。

先天性心疾患と妊娠・出産(私の場合)①

こんにちは。長い梅雨が明けて、毎日暑いですね。

我が家のピカチュウは梅雨バージョンから、夏バージョンに衣替えです。

 

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さて、私が息子を妊娠したのは、28歳の時でした。妊娠出産は、デリケートな問題だと思います。先天性心疾患の女性の中でも、妊娠が可能な方もいれば難しい方もいます。だから、この問題を書いていいのか少し悩みました。でも、先頃、産めない側の風景を書いて下さったあるブログを読みました。産めない側の心情がとてもよく描かれていました。それを読んで、私は、私の経験を書かせて頂こうと思いました。

 

皆さん、ご自身に合う方を読んで頂ければと思います。

では、書いていきます。

 

病気と妊娠・出産について考え始めた時期

 

 将来の、妊娠・出産・子への遺伝などについて、考え始めたのは、高校を卒業する辺りでした。ネットを使って調べたりしました。大動脈弓離断症での妊娠・出産例は見つかりませんでしたが、似たような経過を辿るといわれている大動脈狭窄症での妊娠・出産例はあるという事を知りました。そして、子供が先天性心疾患になる確率は一般に比べて少しあがることも分かりました。

 

自分から、主治医の先生に、初めて妊娠・出産の事を質問したのは、20歳前後の時であったと思います。そして、26歳の時、主治医の先生に結婚したことを報告しました。すると、今度は先生の方から、

「子供は考えていますか?」

という切り出しで、妊娠・出産・子への遺伝について、もう1度説明がありました。

 

先生からの説明

 

 妊娠・出産は可能です。妊娠中、特に、妊娠後期は心臓にかかる負担が大きくなります。なので、妊娠・出産は小児科(心臓)と産科でしっかりと連携をとる必要があります。また、子供に心臓疾患が遺伝する可能性も一般の確率より僅かながら上がります。なので、妊娠した際は、すぐに教えてください。その時は、しっかりとサポートします。

 

という内容でした。“妊娠・出産について”  特に若い年齢の方は、中々聞き辛い事かもしれません。しかし、気になった時が聞きどきかとも思います。「中学生なのに、高校生なのに、こんな事聞くのは変かな?」と悩む方もいるかもしれません。でも、大事な事です。恥ずかしい事ではないし、知っておくべき自分の身体の事。気になったタイミングで親に相談してみたり、先生に聞いてみたりして、良いのかなと私は思います。

 

子供への遺伝について

 

 一般的には、先天性心疾患の子供が生まれるのは、100人に1人、つまり1%の確率と言われています。親が先天性心疾患の場合、私の記憶が正しければ、この確率は3〜5%に上がるそうです(親が男性の場合はもう少し確率は低いそうです)。この確率をどう捉えるのか・・。当時の私は、そんなに悪いものとして、捉えていませんでした。

 

そして、もし自分の子が先天性心疾患という運命を背負って生まれて来たとしたら、それは、私が一番の理解者になってあげられる。と思っていました。検診や、手術や、運動制限。色々な事を乗り越えていかなければならないけれど、それはそれで、中身の濃い、色々な景色が見れる、色彩豊かな人生を歩める事を。病気があっても、笑ったり、喜んだり、出来る事を。私は知っています。だから、もし、私の病気が遺伝して、先天性心疾患の子供が産まれて来たとしても、それが不幸な事であるとは思っていませんでした。男の子が生まれるか、女の子が生まれるか、先天性心疾患の子が生まれるか。そんな感じで捉えていました。

最初からそう思えていた訳ではなくて、病気と妊娠を考え出え始めた10代の頃から、色々悩んだり、たくさん考えたりを経て・・です。色々な考え、捉え方、あると思います。

 

人生何が起こるかは分からない

 

  そんな、私のもとに産まれて来た息子の心臓は、健康でした。しかし、心臓は健康でしたが、自閉スペクトラム症という特徴を持って産まれてきました。散々、心臓の事を考えてきたのは何だったのか・・・(遠い目)。

「そっちかーーい!(笑)」

と心の中で、思わずつっこんでしまいました。

 

私は、発達障害の経験はないし、知識もありません。それでも、母として一番のよき理解者になってあげたいから、そうなれるように、息子と一緒に成長中です。人生何が起こるかは、本当に誰にも分からないんですね。先天性心疾患児の親だって、発達障害児の親だって、疾患のない子の親だって、最初から完璧な親なんていないでしょうから、生まれてきた赤ちゃんと一緒に、成長していければ良いのかもしれないな。と思います。

 

 

つづく。

 

狼の皮を被った子羊

最近の息子は落ち着いている。

薬を調整してから、一度も大癇癪や、パニックを起こしていないし、怖い暴言も言わなくなった。怒ったり、嫌なことがあった時、私の顔を叩いたり、蹴ったり、噛み付いたりする事が日に何度もあったのが嘘みたいに、薬を飲む様になってからは、暴力は無くなった。怒っても楽しくても興奮していて、夜になっても寝れなかった息子が、時間になるとすんなり寝てくれる。ママと落ち着いて会話を楽しむ事が増えたし、遊びと言えば激し目の戦いごっこばかりだった息子が、1人で図鑑を眺めてニコニコしていたり、レゴブロックで遊んでみたり。遊びの幅も広がった。

 

何より、毎日いつも目をキッとさせて怒っていた息子が、落ち着いて、ニコニコと、楽しそうに笑っている姿が多くなった。本人が一番、毎日を過ごす事が楽になったんじゃ無いかなって思う。うちの子、感情のコントロールさえ出来れば、こんなにいい子だったんだな。と思う場面が沢山出てきた。それに伴って、私の子育てにも余裕が出来て。親子関係も良くなって。我が家の非常事態宣言は解除された模様です。

 

久しぶりの歯医者

そんな中、今日は久しぶりの歯医者だった。

保育園に迎えに行くと、「歯医者さん行かない!!」と久しぶりに降園拒否。しばらく説得して、何とか息子を自転車に乗せた。嫌な事があっても、手が出なくなったのは、すごい進歩だと思う。それでも、ずっと、「やりたく無い!帰りたい!」と、ものすごく怖がっている息子。私は、歯医者さんに着くまで、自転車を漕ぎながら、しばらく何て声をかけようか考えた。

「今日は絶対痛いことしないから大丈夫」とか?

「先生たち優しいから絶対怖くないよ」とか?

こうして、私が余裕を持って落ち着いて考えられるのも、息子が大癇癪やパニックをおこしたり、暴言や暴力を言わないからだろう。そして、何となく、前回自分で書いたブログの内容を思い出して、「息子にしか分からない怖さがあるんだよな。」とふと思って。歯医者さんが好きな子供なんていないだろうけど、息子にとっては、歯医者さんの音も、ライトで顔を照らされる光も、口の中を触られる事も、感覚過敏の辛さが想像以上にあるんだろうな。私には体験したことがない、息子なりの恐怖があるんだろうな。と、息子の心を想像してみた。そうしている内に、歯医者さんに到着して。息子を自転車から降ろしながら、

「久しぶりだし、怖いよね〜。◯◯にしか分からない怖さがあるんだよね。」

「怖い時はママが守るね。」

と、思ったことをそのまま言ってみた。

そして、手をしっかり繋いだまま、診察に臨んだ。途中、お口を手で塞いだり、嫌がったりもしたけれど、怖くて涙を流しながらお口を開けていたけれど、何とか最後まで、怖さを怒りにして他人にぶつける事なく(先生をぶたなかったという事)、乗り越えることが出来た。本当に、最近の息子は、よく頑張っているなと思う。

 

薬局にて

  こんな事もあった。

その日は、私がクリニックの受診をして、その足で息子を保育園に迎えに行き、子連れで薬を取りに薬局へ行った。処方箋を薬剤師さんに出してから、併設しているドラックストアで、子供にお菓子を1つ買ってあげた。薬局は混んでいて、しばらく時間がかかった。座って待つ事が苦手な息子。それでも頑張って一緒に待ってくれていて、しばらくして、私の名前が呼ばれると。「やっと呼ばれたよ〜。僕早くお家帰りたかったんだよ〜♡」と微笑む息子。しかし、ちょっとしたトラブルがあって、もう少し待たなければいけなくなった。流石に、これ以上待つのは息子も限界だろう。と思った私は、もう少し待たなければならなくなった事を息子に説明して、「さっき買ったお菓子食べながら待ってていいよ。」と言った。そうでもしないと、待てないと思ったから。すると息子は、「外でお菓子を食べちゃいけないんだよ。お家に帰って夜ご飯食べてからだよ。」と、私に言い、また椅子にちょこんと座った。これには驚いた!うちの息子、こんなにいい子だったっけ!? 親と子が反対だ(笑)

 

遊びの場面にて

  こんな事もあった。

息子がiPadでゲームをしていて、敵に負けてしまった時。

「悔し〜〜!!!」と一言叫んだ。これも、普通に見えて実はすごい進歩だ。前だったら、ゲームに失敗したその瞬間に、iPadを投げるか、画面を叩くかして、そこからママに襲いかかって来て、大癇癪。それが、自分の気持ちを言葉で表現して発散させた事。素晴らしい。他にも、保育園の先生から聞いた話では、お友達と喧嘩になりそうになって、その時、片手に持っていたブロックを握り締めながら先生に、「僕はこれを投げたい。」と、実際に投げるのは我慢しながら、自分の気持ちを言葉にしたそう。以前だったら、言葉より先にブロックを投げていただろう。先生は、「そうか!投げたいほど怒っているんだね。わかったよ、でも投げるのはやめとこうか。」と言ったそう。偉いな。

 

夫婦喧嘩にて

  こんな事もあった。

夫婦喧嘩というか、私が忙しくてイライラしていて、休みの日に遊びに行く夫に、色んな文句を言っていたのを見ていた息子。夫が出かけた直後、息子が私の側に来て、「ママ、パパにもっと優しい言葉を使わなきゃ、もうパパ一生お家に帰ってこなくなっちゃうよ。優しい言葉を使ってお話しなきゃダメだよ。」と。これにはびっくりして思わず笑ってしまった。こんな事を息子から言われる日が来るとは。『そうだね、教えてくれてありがとう』と息子を抱きしめた。息子のおかげで、帰って来た夫に優しく出来た。

 

全部伝わっていたんだな

  息子が最近言い始めた色んな言葉。それらは、いつだったか、私や周りの大人が息子に伝えていた言葉でした。「お菓子はお家に帰って、ごはんを食べてからだよ。」とか、ゲームに負けた時、こういう時は、物や人に当たらずに、「僕は悔しいんだ」と言ったらどう?とか。もし、物を投げたくなったら「僕はこれを投げたいほど怒っているんだ!」って言ってみれば?とか。「もっと優しい言葉を使わなきゃお友達は離れていっちゃうよ。お友達と遊びたいと思うなら、優しい言葉を使ってごらん。」とか。

 

癇癪を起こしているその瞬間は、言っても余計にパニックになってしまったり、私の声なんて届いていないんじゃないかとも思っていた。聞こえていたとしても、どこまで理解しているのかも分からなかった。それでも、言い続けた言葉は、ちゃんと息子の耳に届いていた。あんなに怒っている最中に言われた事も、しっかりと覚えていてくれてた。それが、最近になって分かって。胸がジーーンとした今日この頃です。いつにも増して、息子が可愛くて愛しく思います。

 

息子は、恐い言葉を使ったり、他害があったりしたけれど、

こんなにも優しく賢い内面を隠し持っていたのだと再確認することが出来ました。

薬の助けで、息子のQOLは向上しました。

薬でもなんでも、上手に適切に頼るって大事ですね。

 

という事で、今日のまとめ。

☆息子は狼の皮を被った優しい子羊でした☆

 

ただ、私が調子に乗って、息子のいい所ばかり言う事で、

息子にいい子であろうと無理をさせ過ぎない様にしよう。

時々、狼になってもいいよ。あなたらしくて。

というスタンスでいこうと思います。

 

おしまい。