Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

先天性心疾患と社会的不利・ハンディキャップ~皆さんから寄せられた声③~

こんにちは。

暑い日が続きますね。前回からの続きを書いていきます。

 

前回までは、こちら。

手術の傷跡⑥〜私と水着とプールと授業と〜

先天性心疾患と社会的不利・ハンディキャップ ~皆さんから寄せられた声~

先天性心疾患と社会的不利・ハンディキャップ ~皆さんから寄せられた声②~

 

今日書いてみようと思うのは、

体育の見学時間をよりその子の将来の為になるような時間に有効活用出来ないだろうか。

 

先天性心疾患を持っている子供達も症状や状態は様々で、

全く制限のない子供から、

水泳や陸上など、一部に制限がある生徒。

体育全般に制限があり、見学をしなければならない生徒。

運動制限の範囲は人それぞれです。

 

私は、見学していたのは水泳とマラソン。他の体育は、自分の判断で加減してやっていました。でも、夏になれば、週に2回ほど1時間以上の時間を見学についやすし、マラソン大会の前は、毎日行われる30分ほどの全体練習の時間を見学していました。

 

トータルするとかなりの時間を、プールサイドや校庭の端で、ただ皆を見つめる。という作業についやしました。体育全般を見学する生徒はさらに多くの時間を、見学という作業に当てることになります。

 

何事も意味のない時間はないとは思います。

この時間も、見学ノートを書いて何かを感じたり、クラスメイト達に声掛けしながら、少しでも楽しく、ポジティブに過ごす事も出来ると思います。

けれど、この時間から得られるものは下手したら、運動に対するコンプレックスだったり、健康な身体をもった友達を羨む気持ちだったり、自分への劣等感に繋がるような気持ちだったりするかもしれません。

 

私も、若いころは運動コンプレックスみたいなものが強くありました。でも、職業柄、運動や身体を動かす事を嫌いになってほしくないですし、本当はどんな状態の方にも出来る運動があります。皆さんが想像する、いわいるスポーツみたいな競技とは少し違うかもしれませんが。出来る範囲で身体を動かすという事は、健康増進にもなるし、ボディーイメージみたいなものが確立して、自分の身体が動かしやすくなったり、生活しやすくなったり、とても大事なことだと思います。

ただ、学校で行われる集団の体育では、その子の状態に合わせた運動を提供する事は難しいのかもしれません。

 

皆さんの中にこんな意見をあげてくれた方がいます。

〇 身体を動かす事、スポーツじゃなく、アナリスト・コーチ・整体師・栄養管理など一流選手には様々なサポーターがいて成り立つし、そういう道を開くのも体育の評価につなげればいい。色々な選択肢が出来るように学校で勉強するんだし、そういう時代にしていきたいよね。

 

視野の広げ方がすばらしいなと思いました。

 

そもそも、将来色々な選択肢が出来る様に、その子の可能性を広げてあげられるように、学校で勉強や道徳、体育や美術や音楽などを学ぶのかなと思います。

だったら、この見学のありあまる時間を、他の場所でその子の何かを延ばす時間にあてるという方法もあるのかもしれません。トレーナー理論、栄養学、応急処置方法とか、体育だって色んな知識がありますね。

 

"運動は出来ないけど、その分私はこの分野なら得意だよ。"

という事が出来れば、自信にもつながるし。

例えば、身体上の理由で体育が出来ない人の選択肢として、

皆と一緒の場所で見学や出来る事をしながら過ごす。という他に、

他の場所で自分自身の為になる時間の過ごし方をする。

という選択肢があってもいいのかなと思います。

 

少し話は変わりますが、発達障害を持つお子さんの社会の受け入れ方も、徐々に変わってきていますよね。科目によって、普通級と支援級を行き来する事が出来たり、別室で(その子が集中できる環境)で筆記試験を受けれたり、センター試験でも、医師の診断書があれば、別室受験とか、試験時間延長とか。色々な制度が出来てきました。

 

そんな風に、先天性心疾患のような内部障害を抱える子供達の未来も、徐々に変わってきてくれるといいなと思います。

 

学校の先生達は今でもすごく頑張っていらっしゃるし、やってあげたくても、そんな個別性を考えてあげる時間が無いかもしれません。成績のつけ方とか、受験制度についてとか、授業についてとか、私は好き勝手に意見を書いてしまっていてすみません。

 

制度や大人の事情で難しい事も多くあるのだと思います。

 

でも、それこそが、社会的不利につながっていて、世の中の多くの事は、大多数を占める健康な人を基準に作られていて、何か障害を持っている人にとって、自分の身体と社会の環境や制度がマッチしない事が多いのです。だから、まずは実現できるかどうかは置いておいて、そういう人達が、どうなったら、自分らしく、可能性を捨てずに、生きていけるのか。という視点で意見を出して、そこから社会が少数派の人たちにも歩み寄ってくれるといいなと思います。私たちも、健康な人達と線を引きすぎずに、歩み寄っていかなければなとも思います。

 

学校に、障害をもった生徒と、教員の間に立って、そういう調整をしてくれる、そんな人が1人いたらいいな。なんて思います。いるのかな?そういう立場の人。

少数派の生徒達がより良い学生生活を過ごせるようにサポートする人。教師とは別の立場の人。ケースワーカ的な感じで。

 

介護の分野では、ケアマネージャという立場の人が、困っている人と、医療や福祉をつなげる橋渡し的な事をします。教育の現場にもそういう立場の人がいたらいいな。と思います。その子が何を悩んでいて、困っているのか、聞いてあげて、どうしたら教育の現場として、その子の可能性を広げてあげられるのか。一緒に考えてくれて、環境を調整してくれて、教員と生徒の間の橋渡しをしてくれる人。

 

 

まとまりがなくなってしまいました。

一旦終わりにしますね。

 

読んで下さった方、ありがとうございました!