こんにちは。
土曜日の夜、用事を終えて帰宅すると、キッチンカウンターの上に可愛いあの子が♡
ピカチュウ!!
かわいい♡♡♡
最近、待ち受け画面に設定していたピカチュウの画像を見て、旦那が買っておいてくれてたみたいです。フワフワした触りごこちで癒されます。寝室につれていって、枕元にぬいぐるみを置いて寝たのは、何年ぶりでしょうか笑。
さて、どうでもいい話はこのくらいにして、今日は私が理学療法士になろうと思った訳を書いてみようと思います。先日、仕事に対する思いとか、熱意とか、仕事だとどうしても少し無理をしても頑張ってしまう。といった事をある方と話しました。
それが自分の身体にとって、良い事とか、悪い事とか、そういう話は置いておいて。私が理学療法士であることは、それだけの思いがあるんだということを再認識しました。そして、自分の原点みたいなものを振り返りたくて、この記事を書いています。
以前にも少し書いたことがありますが、
私は将来の夢を何にしようか悩んだ事はありませんでした。たぶん、物心つく頃から、将来、病院で働く人になるんだろうなと、自然に思っていました。でも、その職業名とか、なぜなりたいのかとか、まだうまく言葉で表現する力は無かったので、幼稚園で将来の夢を聞かれた時には、無難に周りに合わせて、ケーキ屋さんとかお花屋さんとか、言っていた気がします。
小学生になる頃には、はっきりと、将来は看護師さんになる。と決めていました。
病院への入院や、通院が生活の一部であった私にとって、看護師さんは一番身近な職業だったので、そう思うのは自然な流れでした。
小学6年生の頃、あるラジオ番組で、"小学生に将来の夢をインタビュー。"という企画があって、その取材が学校に来ました。私の受けたインタビューは見事採用されて、生まれて初めてのラジオデビューです。その時の音源は、残っていないのですが(お母さんそういうのテープに残して取っておいてよ笑)、覚えているのは、将来の夢を聞かれた私は、看護師さんです。とは答えずに、「人と関わる仕事で、何か人の助けになるようなそんな事をしたい。」と、答えました。周りの子が、パイロットになりたいです。とか次々職業名を答える中、あえて看護師さんという職業名を出さなかったのは、今から思えば、その時から看護師さんになる事自体が目的ではなくて、『人と関わる仕事で、自分の経験を活かして人の助けになる事。』をしたかったのだと思います。当時の私にとって、それと繋がる身近な仕事は、看護師さんでした。
中学に入ってすぐの夏休みに、私は手術の為に入院します。
当初の予定より長期の入院、3回に渡る手術。手術の合併症で声が上手く出せなくなる。体重も10㎏落ち、体力もない、3回の手術で出来た手術の傷跡。この時から、私の身体や私の生活は一変しました。
でも、この経験が今の私の原点です。
入院中や退院後には、些細なちょっとしたエピソードがいくつかありました。
〇人工呼吸器から離脱したばかりの頃、鼻からチューブを入れて、痰を吸引してもらう際の「やらなきゃ死ぬよ!!」という看護師さんからの言葉かけ
〇 ベッド脇にあるポータブルトイレで、排泄の全てを行わないといけないという事。カーテン越しに、隣の患者さんがいるし、看護師さんやお医者さんもしょっちゅう行き来しているし、カーテンをさっと開けてくる事もある。タイミングとか音とかにおいとか、気にしますよね。
〇誰も気づいてなかったけど、術後に私が便秘になったのは、どうしてもその環境で排便できなくて我慢していたから。下剤を飲んでも、少し我慢してしまっていた。思春期だからね(笑)。そんな時、〇っちゃん今日はもう浣腸するから!!と離れたところから大きな声で、医師に言われた時の気持ち。
◯1ヶ月以上振りに、歩いた時の身体の重さ。地球の重力を始めて感じた。
〇入院中は退院=ゴールみたいな感じだったけど、退院してからが、自分が頑張る本番だったこと。
〇心臓を治す間に、体力がどんどん落ちていてそこから日常を取り戻すまでの過程。
などなど。一部しか書きませんでしたが、入院中や退院後は色々な事を感じました。
よく気づいてくれて、私を支えてくれたスタッフの方もいました。感謝しています。でも、本当の私の気持ちを分かっていないだろうなと感じた人もいたし、あとは、私の気持ちを全部分かった気でいる人。にも違和感を覚えたかな。
自然と、この気持ちを体験した人が、病院で働かなければいけないんじゃないか。なった人にしか分からない思いや、言葉で表現しきれない思いがある。という事を知っている人が、こういう職業につかなければいけないのではないか。という、使命感のようなものも、この頃から私の中に沸いていました。
高校になり、進路を考え始めた時。
看護師さん以外の職業にも目を向けてみよう。と思いました。
私がその頃知っていた、医療や福祉に関わる職業は、
この中から、私がやりたい事を最も出来る職業はなんだろうか。
私は、自分の経験から何を学んだのか。中学の手術から、日常に戻っていく過程で、何を感じたのか。それまでの思いを、高校3年生の時に初めて言語化してみました。
それが、この2つです。
①何かを失ったり、出来なくなっても、それを乗り越える過程(乗り越えられなくても向き合っていく過程)で、必ず何か得られるものがあり、それは、その人をより豊かな人間にしてくれる。
②ある日、突然、それまで当たり前だと思っていた事が出来なくなる時の、不安感、もどかしさ、苛立ち、悲しみ。といった感情。
そして、なった人にしか分からない言葉に出来ない気持ちがある。という事。
私が探していたのは、この2つの学んだこと、その思いを活かす事が出来る職業。つまり、
"何かを失ったりできなくなったりしている人が、日常に戻るまで、戻ってからを支援できる職業。"
でした。
言い換えると、どの職業についても、しっかりと自分のやりたい事を心にとめておけば、それは出来るなとも思っていました。
看護師か、心理士か、心理士か看護師か…。。
なんて悩みながら、進路指導室という部屋で情報収集をしていたある日のこと。
この部屋には、色々な大学や専門学校などの資料が集められていて、生徒が自由に出入りできる小さな部屋でした。そこでふと、手にとった学校のパンフレットに、理学療法学科・作業療法学科。という文字。何気なくそのパンフレットを開いてみると、こう書かれていました。
理学療法士とは、
Physical Therapist (PT)。ケガや病気などで身体に障害のある人や、障害の発生が予測される人に対して、基本動作能力の回復や維持、および障害の悪化の予防を目的に、運動療法や物理療法などを用いて、自立した日常生活がおくれるように支援する、医学的リハビリテーションの専門職です。
これを読んだ時、一瞬で、これだ!と思いました。ビビビっときました。
でも、私は、こんなに病院と近い環境にいたのに、理学療法士さんや作業療法士さんに会ったこともなければ、リハビリの現場を見たこともない。これは、まずい。と思って、学校の近くにあった大学病院のリハビリテーション科に連絡をとり、リハビリの現場を見学させて頂き、実際に理学療法士さんにお会いしてお話を聞く機会を作りました。
病院の理学療法士さん。とても親切な方で、快く受け入れて下さったのを覚えています。
そこからは、もう、一切の迷いもなく、いくつか学校を見学し、願書を出して、入試を受けました。
私が入りたかった学校は、一般入試の前に、推薦入試がありました。推薦入試は、学科2科目の筆記テストと、小論文、面接で合否が決まります。主に小論文や面接重視です。私はこれにかけてみる事にしました。推薦入試は、過去のデータを観ると、100人受けて10人くらいの合格率でした。
余談ですが、
確率って、不思議で、意味があるものか無いものか、良く分からないなぁと思うのです。
例えば、1/100 の確率で失敗します。と言われたとして、大抵の人は安心するかもしれないけど、その1%に当たった事がある人にとっては、1/100だろうが、1/50だろうが、関係ない。その1になってしまったら、当事者には確率なんて何の意味もないのです。
先天性心疾患が生まれる確率は1/100、大動脈弓離断症が生まれる確率は1/50万(当時医師から言われた数値ですが今は少し違うみたい)、手術が失敗して大動脈瘤が出来る確率は1/100以下。
どれも、私は1を引き当てて来ました。
だから、推薦入試の合格率が、10/100 という数値を見て、合格に充分手が届く数値に思えたし、希望が持てました。1/100くらいの確率であれば、努力次第で何とかなる気がしていました。
結果、面接で自分がやりたい事の思いのたけをしっかりと伝えさせて頂き、合格する事が出来ました。
これが、私が理学療法士になろうと決めるまでのお話です。
学校に入ってから、今までの運動経験の少なさや、体力的にハードな実習、自由に操れない声、など、理学療法士になるには沢山の壁があって、1度だけ諦めかけて学校を辞めようとした事もありました。でも、その4年間を過ごす事で、さらに理学療法士として働いていく覚悟みたいなものを養っていったのだと思います。
最近ね、
自分にとって1番遠い存在のものって何?
って話題に触れる事があって、
私はすぐに、「健康な身体」だなぁ。
と思ったのですが、
でも、それがあるから、あの頃も今も、私にはやりたい事や目標があって、今こうして仕事をしたり、ブログを書いたり、しているんだよなぁ、とも思うのです。
長くなりました。
読んでくださった方いたら、ありがとうございます。
おしまい。