“(病気は)様子を見ながらずっと付き合っていかなきゃならない。
地獄は相変わらず側にある。
いや、最初から側にいたのだ。
心からわかった。
それだけで儲けものだ。
本当に生きていてよかった。
クソ最高な人生である。”
久しぶりに、“星野 源” の本を読み返しました。「よみがえる変態」(生きる2)より。2度目の脳手術を経て、病院を退院した星野源さんが書いた文章です。
“どうせ私は体力がない。
うつとPMSもある。
活動期と静止期を一生繰り返す。
今は良くても、必ず不調を繰り返してしまう。
安定してい続けることが出来ない。”
こちらは、最近私が考えていたネガティブな思考です。病気に対してポジティブでいられることもあれば、たまにはネガティブにもなるものです。けれど、星野源さんの文章を読んで、3度の手術を終えて病院を退院した日、病院の門を出た瞬間のことを、その感覚を、久しぶりに思い出しました。
“ 生暖かい風が頬に当たる感触、
日差しがまぶしいという感覚、
木々や葉が風に揺らされている カサカサ という音。
五感で感じる全ての感覚が、今まで生きてきた感じとは一変し、一言では表現しきれませんが、幸せだな。ありがたいな。生きているな。気持ちいいな。心地良いな。と・・・、
当たり前の世界に感動を覚えました。”
※過去のブログを参照
2019.3.22
2019.3.23
生まれながらに病気を持っている人も、そうでない人もいます。それは不平等かもしれません。けれど、生まれた瞬間から人は死に向かって歩いていて、遅かれ早かれ、いつかは「老い」や「病」と対峙しなければなりません。その点においては人は平等だと思います。地獄は最初から側にいた。10代でそれに気づけた。病と対峙しながら、生きるということを。当たり前の幸せや、当たり前の世界の感動を。そのありがたみを。10代で知れた私は、儲けもので、クソ最高な人生かもしれません。と、星野源風に締めくくってみました・・・♬
最後に、最近したネイルです。
実は、しばらく前に、以前痛めた右手首の痛み(TFCC損傷)が再発してしまいました。またしっかりと治そうと思うので、そんなに心配はしていません。ただ、しばらくはテーピングで安静を図りたいので、こんな感じになっています。
手首を見る度に、少し痛々しいですね。なので、手先だけでも明るくポップに彩ろう!という試みなのであります。
おしまい☆