Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

花火

8月になり、お祭りや花火大会の時期になりました。東京の大きな花火大会の1つといえば、『神宮外苑花火大会』ですが、今年は3年ぶりに開催されるらしいです。この感染の広がりっぷりにどうなるのかは分かりませんが…。

ということで、今日は『花火大会』の思い出を書いていきたいと思います。

13歳の8月、私は心臓の手術を終えて、HCU(高度治療室・準集中治療室)のベッドにいました。ここでは、大きな部屋にベッドがいくつか横一列に並んでいて、ナースステーションにいる看護師さんやお医者さんから、常に患者さん達が見渡せる仕様になっています。

HCUに来て、しばらく経っていたので、大物の機械は外れて、まだ鼻の酸素や点滴、心電図などはしていましたが、身軽になって、容態もかなり落ち着いてきていました。ベッド上安静だったので、座ったり、病棟の中をウロウロと歩いたりする事は出来ませんでした。そんな中、私の唯一の楽しみは、読書でした。両親が持ってきてくれた本や、小児科病棟で担当してくれていた先生が差し入れてくれた本などを、1日中読んでいました。私の読者好きは、多分ここにルーツがあるのだと思います。

そんな私に、気を使ってよく話しかけに来てくれたのが、心臓血管外科研修医のイトウ先生でした。親戚のお兄さんの様にフレンドリーに話しかけてくれる先生。イトウ先生は、週7日24時間病院にいた気がします。忙しかったのでしょう。時に、「○っちゃーん、ここで休ませて」なんていって、私のベッドサイドの椅子に座りこむこともありました。他に休むところもあるだろうに、わざわざ私のところに来てくれるのは、ベッドから動けない私の、話し相手になってあげようという、イトウ先生の優しさだったのだと思います。

 

ある日の晩、夕食を終えて、あとは消灯を待つだけとなった、まったりとした時間に、「○ちゃーん、大変だ、もうすぐ始まる!!」と駆け込んで来たのはイトウ先生でした。「急げ急げ〜」と言いながら、近くにいた看護師さんを2人くらい捕まえて、点滴や、酸素のチューブや、その他ルート類を器用に収めながら、私が寝ている大きなベッドをぐるーっと180度回転させました。なにがなんだか分からずあっけに取られる私をよそに、イトウ先生は、急いで窓のカーテンを開けました。イトウ先生は、私がベッドに寝たまま窓の外が見える様に、ベッドの向きを変えてくれた様でした。

「もうすぐもうすぐ。○っちゃん、あっちの方見ててね。」と窓の外を指差す先生。すると、上空をめがけて昇っていく、ひとすじの光とともに、バーン、と大きな花火が夜空を彩りました。花火は、何度も何度も打ち上がります。

とても綺麗でした。イトウ先生の優しさと、入院生活苦しい事ばかりの私を、喜ばせてあげようという皆さんの気持ち、色んな人のあたたかさがが詰まったその大きな花火は、何倍にも何十倍にも美しく見えました。その頃はうまく表現出来ませんでしたが、じーーんと胸を打つような感動がありました。

 

「来年は、浴衣着て、俺と2人で見に行こうね。」(イトウ先生)

 

「やだぁ、○っちゃんにも、デートの相手を選ぶ権利がありますよ。ね、○っちゃん。」(看護師さん)

 

なんて会話が、今も耳に残っています。

これが、私の『神宮外苑花火大会』の思い出でした。

 

おしまい。