Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

友達④〜りちゃこ〜

今日は4人目の友達、りちゃこの話をします。りちゃこはまだ幼くて、年齢でいうと3、4歳くらいだったでしょうか。友達、歳の離れた妹、癒し、天使、りちゃこを思い出すとこんな単語が頭に浮かびます。りちゃことの出会いは病棟にあるプレールームでした。プレールームとは、大抵どの小児科病棟でもあるのでしょうか。私の入院していた病院では、小さい子供でも、床に座ったり、ハイハイで移動したり出来るよう床がカーペット仕様になっており、部屋の壁沿いには絵本やおもちゃがたくさん敷き詰められた棚があって、昼間は必ず保育士さんがいて子供達と遊んでくれ、入院中の子供達の遊び場、幼児がお母さんとのスキンシップを持つ場、お座りをしたり、ハイハイをしたり、つかまり立ちをしたり、体を動かすことで運動の発達のを促す場、プレールームはそんな部屋でありました。

小児科病棟では3食の入院食に加えて15時のおやつが出ますが、りちゃこは、お昼ご飯が終わっておやつが出るまでの時間、毎日お母さんとプレールームで遊んでいました。私達、年長者組の4人は、プレールームで遊ぶには少し年齢が高すぎましたが、ずっと病室にいても飽きてしまうので、時々そこへ行って、小さい子の邪魔にならないように端っこに横一列、あるいは円になって座っていました。やることといえば、いつも病室にいる時と変わらないのですが、相変わらず4人でおしゃべりなどをしていました。ある日、いつものように4人でプレールームに集まっていると、そこで遊んでいたりちゃこがお母さんの元から離れ、トテトテとこちらに歩いてきて、私達の隣に座っておもちゃで遊び始めました。あまりに可愛かったので、4人でりちゃこに話しかけたり、一緒におもちゃで遊んだりして、それがきっかけで私達とりちゃこは仲良くなっていきました。にこーっと笑う、りちゃこの天使のような笑顔に、4人は元気をもらっていました。りちゃこは、私達の顔を覚えてくれたようで、私達がプレールームに行くと、すぐに寄ってきて、遊んでと懐いてくれました。私達も年下の子に懐かれると、自分達がお姉さんになった気がして嬉しいし、どこかに隠れ潜んでいる母性が刺激されるのか、りちゃこがとても可愛く守ってあげたい気持ちになりました。そうして、いつしかプレールームは私達にとって、おしゃべりをしに行く場所から、りちゃこと一緒に遊ぶ場所になりました。りちゃこのお母さんも、「いつもこの子の遊び相手になってくれてありがとう。」と私達に好意を持ってくれているようでした。

りちゃこは、3、4歳の子供では普通のことだと思いますが、面会時間が終わりお母さんとの別れの時間になると、毎回決まって泣きました。祖母から聞いた話では、私が0歳から1歳の時に入院した際、この時はNICU(新生児集中治療室)に入っていたと思いますが、面会時間が終わり、看護師さんが新生児室のカーテンを閉めると、大声で泣いたそうで、その泣き声が両親や祖母にとって1番辛い瞬間だった。と話していました。りちゃこのお母さんもきっと同じ思いで、後ろ髪を引かれる思いで、ごめんね。という思いで、病棟を後にしたのだと思います。夕食後は面会の時間が終わる時でもありました。基本的にはそれぞれの病室の中で、その部屋の子供達と過ごしますが、ある時、そんなりちゃこの泣いている姿が頭によぎって、4人でりちゃこの部屋に行きました。りちゃこはやはり泣いていましたが、私達の顔をみると、気持ちが切り替わったのか、ケロッとすぐに笑顔になり、何か一生懸命に話をしていました。内容は残念ながら覚えていないのですが、泣いたり、笑ったり、くるくると変わるりちゃこの表情が、妹弟のいない私には新鮮なものに見えました。可愛い。その一言に尽きました。この日の出来事は、看護師さんから、りちゃこのお母さんの耳に入ったようで、それを聞いたお母さんが「りちゃこにお姉さんが出来て安心した。」と言っていたことを、私達も看護師さんから聞きました。ある時、りちゃこの部屋を訪室すると、その日りちゃこは点滴をしていて、点滴がちょうど終わった時らしく、腕から出ているルート(点滴の管)から血が逆流してきていて、それに気づいたりちゃこの表情が、あと数秒で大泣きする顔になって、みんなで慌ててナースコールを押して、「りちゃこの点滴が逆流しています。早く来てください!!」なんて看護師さんを呼んだこともありました。

例の如く、私はしばらくして絶対安静になり、その後病棟を移ってしまったので、りちゃことの思い出はそれっきりです。りちゃこのお母さんとは最後に挨拶のような事が出来ました。それは私がストレッチャーでオペ室に運ばれている時、プレールームの横を通り過ぎる時でしたが、たまたまそこにいた、りちゃこのお母さんと目が合いました。りちゃこのお母さんは、私に「頑張ってね」と声をかけ、正確には、声に出して言われたわけではないのですが、私と視線が合った時の、りちゃこのお母さんの優しいでもどこか真剣な表情から、きっと心の中で私にそう言ってくれているのだなと思い、私も軽く会釈をするように頷き返しました。その隣では、りちゃこがいつもの笑顔で、遊んでいたことを覚えています。

これが、病棟での私の4人目の友達、りちゃことの思い出でした。りちゃこは覚えているでしょうか。まだ小さかったから、忘れてしまっているかもしれません。でも私はしっかりと覚えていますよ。

 

小児科病棟での私の4人の友達。みんなが、今どこで、どんな人と、どんな生活をしているのかは分かりませんが、いつかみんなで集まって、この日の思い出や、それぞれの今を、今はなきあの3Nの小児科病棟プレールームで、語り合いたいな。と思います。

 

おしまい。