Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

友達③/あゆみちゃん

その1、相手の病気のことは詮索しない

その2、カーテンを閉めている時はこちらからは話しかけない。

私達がいた小児科病棟の年長者部屋には、2つのルールのようなものがありました。それは、厳格なものもではないし、どこかの大人に決められた訳でもなく、病室の皆んなで話し合って決めた訳でもないけれど、ルールという言葉で表現するのは、少し的確ではないかもしれない、そこにあったもの。様々な事情(病気)を抱えている繊細な子供達の他人同士を尊重し思いやる心が、自然発生的に作りあげた、病室の雰囲気、漂う空気感とでも言いましょうか。皆が自然に守っている、このルールーのようなものは、大人より大人だった気がします。

私達は、相手の病気のことを詮索したりはしません。だから、私はあゆみちゃんの病気のことを知りません。まりちゃんは、前回書いた通り互いに心臓の病気同士、ということは知っていますが、その詳細は知りません。ちっちがどうして長い間入院しているのかも知りません。だから、どっちの病気が重いとか、どっちの方が大変などと病気でマウントを取り合うこともないし、病気を通してその人を見るのではなくその人自身を見ていたし、だからこそ、皆で一緒にいる時は病気のことを忘れて、大いに笑い合い楽しんでいたのだと思います。

あゆみちゃんの話をします。あゆみちゃんは高校生で、高校何年生だったのかは覚えていないのですが、私達4人の中で1番お姉さんでした。ちっち、私、まりちゃんに続いて、最後にこの病室にやってきて、さばさばとした性格で、大人になりかけている高校生のあゆみちゃんからしたら、小中学生なんてとても子供に見えたでしょうに、年長者ぶることもなく、気さくに私達と打ち解けてくれました。私達年下組も、かしこまることもなく、敬語を使うこともなく、まるでずっと前から友達同士だったような、家族とか姉妹のように、あゆみちゃんと話ていました。

あゆみちゃんは年上ぶることはほとんど無かったのですが、唯一上から目線の立場で皆んなに話てくれる事とすれば、それは、愛とか恋とか、交際とか、キスとか、その他・・・でした。色々なことを教えてくれました。あゆみちゃんに大人の階段を強制的に登らされました。ちっちだけは、あゆみちゃんから耳を塞がれていました。小学生だからね。両頬を両手で覆って、恥ずかしそうに、でも興味深々に、話を聞く私達の表情を見て、あゆみちゃんも楽しそうでした。私達の病室は、ナースステーションから1番離れたところにあったのをいいことに、消灯後に病室の扉をそっと閉めて、暗がりの中あゆみちゃんのベッドに集合し、ひそひそ話をしたこともありました。結局看護師さんに見つかって、もう寝なさいと怒られてしまいましたが。今となっては良い思い出です。

ある日の消灯前の、静まりかえった病棟で、看護師さんに気づかれないように、ちっちが静かに泣いていました。あゆみちゃんは、ちっちの肩にそっと手をまわし、その小さな肩をゆっくりと撫でながらちっちを座らせました。私とあやちゃんは、ちっちとあゆみちゃんを挟むように左右に腰掛けました。ちっちは自分の病気のことで不安になったようで、そんなことを自分から話し始めました。あゆみちゃんは、うん、うん、とちっちの話に耳を傾け、私とあやちゃんも、あゆみちゃんと同じようにちっちの話を聞きました。誰も、何かを聞き出そうと質問攻めにしたり追及もせずに、ちっちの隣に寄り添いました。ちっちの話を真剣に聞きました。ちっちの思いを共有し、共感が生まれ、そっと同じ時間を過ごしました。楽しい中にも、そういう夜もありました。

少し、私の話をさせて下さい。1度目の手術が終わり、絶対安静になった私は、次の手術が決まるまで小児科病棟にとどまりました。仮性大動脈瘤という、もしかしたら破裂するかもしれない血管のこぶのようなものが出来てしまったので、私はベッド周りのカーテンを閉めて、他の友達との交流も極力避けるように、はしゃいだり興奮したりしないように、血圧が上がって瘤が破裂しないように、できうる限り静かに過ごすことが必要でした。私達年長者部屋のルールその2、カーテンが閉まっている時はこちらから話しかけない。ちっちも、まりちゃんも、あゆみちゃんも、何も言わず、何も聞かず、何かを察し、カーテンの向こうから、おはよう。とおやすみ。の挨拶以外は、話しかけずにそっと見守ってくれました。おはよう。とおやすみ。の挨拶だけでも、皆とのつながりを感じました。皆の優しさやあたたかさもまた感じていました。

再手術当日、担当の看護師さんと担当医のY先生の付き添いの元、私はストレッチャーでオペ室へと運ばれました。そこから私は、さらにもう1回の手術、3度目の手術を経験し、大人の心臓血管外科チームに引き渡されてしまいましたので、皆が待っている小児科病棟へ戻ることは出来ませんでした。ICU(集中治療室)を経由して、HCU(高度治療室・準集中治療室)に入った私は、しばらく生きることに必死だったので、生きることに必死って生きるのか必ず死ぬのかよく分からない言葉遊びのような気もしますが、とにかく、小児科病棟の皆のことを思い浮かべ考える余裕はありませんでした。それから少し落ち着いて、まだ酸素マスクはしていたけれども、本を読む余裕なども出てきた頃に、嬉しい来訪者がありました。あゆみちゃんです。あゆみちゃんは無事手術を終えてしばらく前に退院し、その日は外来で病院を訪れていたのです。小児科病棟に行けば、私に会えると思っていたそうですが、そこに私はいなかったので、看護師さんに私の行き先を教えてもらってここに来たそうです。当時は、今より個人情報がゆるい時代でした。HCUは本来、家族以外の面会は禁止されていますが、その時にいたお医者さん、看護師さんの計らいで、特別に数分だけなら会っても良いということになりました。あゆみちゃんがゆっくりと入口から歩いてきて、私のベッドの横に来てくれました。私は、詳しく書くとややこしいのですが、手術で声を出す声帯の神経を片方切っていたので、うまく声が出せず、ほとんど会話は出来ませんでした。それでも、あゆみちゃんは私の顔を見て笑いかけ、私もあゆみちゃんの顔を見て笑い返す事が出来て、こんな状態でも笑う事が出来たのは、あゆみちゃんが私を思って会いに来てくれたおかげだと思いました。言葉がなくても気持ちが通じ合える仲間に出会えたことに小さな幸福感も感じていました。あゆみちゃんは、ベッドを離れる前に私に1枚のメモ用紙を差し出して、そっと、こう言いました。

「○っちゃん、退院したら、ここに書いてある住所、私の住所だから、手紙を頂戴。待ってるから。」

その数週間後、私も無事退院することが出来まして、家での生活も少し落ち着いてきた頃に、約束通りあゆみちゃんに手紙を書きました。

「無事退院しました。あゆみちゃんも元気にしてますか?」

あゆみちゃんとは、その後しばらく文通を続けました。入院しなかったら出会わなかった、私の優しいお姉さん、あゆみちゃんとのお話でした。