私たち同室の4人は、毎晩消灯前になると、コップと歯ブラシを片手に長い廊下を歩いて、共同の洗面台へと向かいました。途中ナースステーションを横切る時に、「おやすみー」と、看護師さんが声をかけてくれます。小学校の水飲み場みたいな横に長い流し台で、4人で横並びになって歯を磨きます。夕食が終わって面会人(たいていは母)が帰った後の、消灯前の2−3時間の“この時間”は、小学生1名、中学生2名、高校生1名の私たち4人きりで過ごす、修学旅行の夜のような、そんな貴重な時間でした。4人はとても仲が良かったと思います。昨日紹介したのは、小学生のちっちですが、今日は、中学生のまりちゃんのお話をします。
まりちゃんは、私の隣のベッドに入院している、中学1年生の女の子で、私と同じ年齢でした。私とまりちゃん、どちらが先に入院してきたのかは覚えてないのですが、ほとんど同時期に入院したのだと思います。まりちゃんと初めて2人で話した時のことは、覚えていて、お互いに向かい合うようにして対面した時に、衣服から少しはみ出たまりちゃんの胸元にある傷痕に私は気づきました。それとほぼ同時に、まりちゃんも、私の胸元にある“それ”に気がつきました。まぶたの中の瞳が一瞬下に動いて視線が落ちるから、相手に胸元を見られるのは不思議とちゃんと気づくもので、私もまりちゃんも、お互いの胸の傷痕に気づき、そして、相手が自分の傷痕に気がついたことにも気づきました。お互いに顔を見つめ合い、自然にニコッと笑みが出て、「一緒だね!」と言い合いました。同年齢で、おそろいの傷痕を持っている、心臓の病気を持っている、という共通点が、短時間で私たちの仲を深めてくれたのかもしれません。
ちっちと、まりちゃんと、私は、3人でお風呂に入ったこともあります。病棟のお風呂は1人用でしたが、病棟を出て廊下を20mほど進んだところに、「大浴場」と書かれた旅館の家族風呂くらいの広さのお風呂があって、看護師さんに許可をとり3人で一緒にそのお風呂に入ったことがありました。きゃっきゃ、きゃっきゃ言いながら、楽しかったのを覚えています。この後、私は何度か手術をして、傷痕がふえて、人前で服を脱ぎたくなくなるので、女の子同士でお風呂に入ってはしゃいだこの思い出は、唯一で、貴重で、懐かしい、私の人生のアルバムの“とても楽しかった入浴”という思い出の1ページとなりました。
まりちゃんとは、ベッドとベッドをくっつけて、一緒に手をつないで、寝たこともあります。手をつないで寝たら、朝まで手をつないだままでいられるかな?なんて言いながら。
まりちゃんには、ユーモラスな遊び心、いたずら心もありました。私の手術の朝、この日は朝から点滴があって、それは担当医の先生(研修医の先生で子供達からしたら歳の離れたお兄さんのような先生)がしてくれるのですが、まりちゃんが、そのY先生を驚かしちゃおう!と私に提案してきたのです。まりちゃんは、私を隠そうと、「さがさないで下さい。」と書いたホワイトボードを私のベッドの枕元に置いて、自分のベッドに私を招いてカーテンを閉じました。しばらくして、廊下から点滴の棒をガラガラと引きずる音をたてながら、「○っちゃん、点滴するよ〜」とY先生が私達の病室に入ってきました。しかし、私はベッドにおらず「さがさないで下さい。」なんて置き手紙があります。きっと先生はびっくりして焦るだろうなと、ドキドキハラハラ、ニヤニヤしながら隠れていた私達をよそに、Y先生は一瞬で全てを見破り、「○っちゃん隠したでしょ〜!!!」と私達が隠れているまりちゃんのベッドのカーテンをシャッと開け、私を見つけました。私は割と真面目な性格だったので、はなから、まりちゃんの悪巧みだと見破っていたようでした。と、人のせいにしておきましょう・・。後日談ですが、Y先生はこの15年後、爽やかな水色を基調とした、大きな花束を持って、再び私の病室に来てくれました。そして、懐かしいね、と、この日の思い出を語り合いました。息子を出産した翌日のことでした。
Y先生との思い出に脱線してしまいましたが、私はこの日の手術が上手くいかず、手術室から戻ってくる頃には絶対安静になってしまったので、この朝の出来事がまりちゃんと一緒に思いきり笑い合った、最後の思い出となりました。良い思い出です。私は、その後しばらくして再手術をして、ICUに入るので、まりちゃんがいつ退院したのかは、知りません。まりちゃん、元気かな・・・。