Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

ルールが変わった日① 〜先生との出会い〜

こんにちは。

 

今までも、少し書いてきましたが、体育の成績問題だったり、世の中の多くの事は、少数派ではなく、多数派を基準に作られています。学校だったり、会社だったり。ある集団において、少数派の人達が、どんな社会的な不利を感じているのかさえ知られていない事が多い。だから、私達は、困っている事や、感じている事などを、出来る限り発信して、そうでない人達に知ってもらえるように働きかけていかなくてはいけない。今、大人になった先天性心疾患の人や、大人になりかけている先天性心疾患を持つ青年達が、SNSやブログなどで発信し始めている事、そして、それを読んでくれた親御さん達が、何かを感じてくれて、行動してくれる事。そんな事で、少しずつどんな人でも生きやすい世の中になってほしいと思います。

 

やばい。コロナのせいで、文章まで固くなっていますね・・・(笑)

もう、なんでもコロナのせいにしちゃいましょう。

 

勇気を出してSOSを出しても、結局大きな決まり事や社会のルールみたいなものは変わらなかったよ。とういう経験はあるかもしれない。そんな経験をしたら、もう言う気も失せちゃうかもしれない。だったら、自分が我慢しよう。ってなってしまうかもしれません。

 

なので、今日は、私の味方になってくれた人の話を書いてみます。

少数派の私の為に、多数派に声をあげてくれた、専門学校時代の恩師のお話し。

 

先生との出会い

 「心臓の病気を持っているようですが、実習とか結構大変だけど、この仕事の体力的な面は大丈夫ですか?」

 

これが、先生が私に話しかけた最初の言葉でした。理学療法士専門学校、入試面接での一言です。面接は集団面接で、学生5人に対し、教員が5名。

 

「なぜ理学療法士になろうと思ったのですか?」

「年上の人と接する機会は今までありましたか?」

「ストレスが溜まってしまった時はどうしますか?」

 

など、そちらの方から順番に答えてくだい。という共通の質問が一通り終わった後、

「ちょっといいですか?」と、1人の先生が手をあげて、私に対して個別で投げかけてくれた質問です。

 

「心臓の病気を持っているようですが、実習とか結構大変だけど、この仕事の体力的な面は大丈夫そうですか?」

 

先生は、なるべく穏やかで優しい口調で、出来る限りの気遣いの姿勢をもって、でも真っ直ぐストレートに聞いてくれたから、嫌な感じは全くしませんでした。今思うと、よくぞ聴いてくれた。と思います。大事なところですもんね。

 

私は、

「体力は、健康な人に比べると正直ありません。でも、中学の手術後も吹奏楽部を続けて、楽器を吹いていました。それは結果的に、心臓や肺を鍛えるいいリハビリになりました。高校では運動は出来ませんでしたが、ラグビー部のマネージャーとして、暑い日も寒い日も校庭に数時間立って選手達を支えました。これも、結果的に以前より体力がついたと思います。だから、これからも、少しずつ体力をつけて頑張りたいと思っています。大丈夫です。」

と、少し小さな声で答えました。

(この頃は声帯再建の手術をまだしていなかったので・・)

 

結果は合格。推薦入試は、100名うけて10人程の合格者数だったから、

正直に病気の事を話して合格出来たのは、嬉しかったし、ハンデがあっても合格出来た事は自信にもつながりました。

高校で受けた事前の模擬面接をしてくれた先生には、

「声も小さいし、病気の事がハンデになる可能性もあるかもね・・。」

と改善できるはずのない、病気や障害の特性を、弱点のように指摘されました。でも、結果的にその経験から得たものが強みとなって、合格する事が出来たと思っています。

 

『病気や障害はハンデにもなるけれど、その経験から得たものは、他の人が持っていない強みにもなる。』

 

と私は思います。

色々な事を言ってくる大人はいます。

でも、分かってくれない人の言葉なんて真に受けてはいけません♡

 

入学式の日、

専門学校は、中学や高校と同じように、クラス制で、それぞれに担任がつくのですが、教室に現れた担任の先生は、入試の面接で私の病気にちゃんと触れてくれた、あの先生でした。

 

なんだか、ホッとしたの覚えています。

先生とは、その後4年間のお付き合いになる訳ですが、(卒業後も何度かお会いしていますが)私に病気のハンディキャップについて自分から質問してきたのは、これが最初で最後だったように思います。

 

そして、卒業まで、節目節目で私を助けてくれました。

 

一気に書ききれないので、少しずつ書いていきますね。

 

つづく。