Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

頼りすぎてはだめなのか~先天性心疾患と恋愛③~

こんにちは。

新型コロナウイルスが猛威をふるっています。

下手に騒ぎ立ててはダメですが、気持ちを抑え過ぎても不健康だし、皆さんも心の底でソワソワしていると思うから、代わりに?私が言います。

 

「怖いよね〜!」

 

私の心肺機能…、コロナに勝てるか⁉ 親御さん達もさぞかし心配の事と思います。

まぁ、でも、今ワクチン開発とかも頑張ってくれているし、慌てず粛々と日々を過ごします。

 

さて、間に色んな記事を挟んでしまったので、訳が分からなくなっている方もいるかもしれませんが、話の筋を戻して、"先天性心疾患と恋愛その3 "を書いていきます。

今日書く思い出は少し長ったらしく、まとまらないかもしれません。それは、何度も思い返したり、誰かに話したりしたエピソードでは無かったからかも。自分の中で、まとまっていないけど、思い出しながら少しずつ書いてみます。お付き合い下さい。

 

 

先天性心疾患と恋愛③~O君 高3から20歳~ 

O君とは高校2年生の時同じクラスで、高3は別のクラス。2人でよく話すようになったのは、高3になってからでしょうか。ちょうど、前回書いたI 君と話すようになったのと同時期です。

 

高3では、私とO君は別々のクラスでした。

私の学校は、公立ですが、高3の午後の授業は選択授業で、授業が入っていない日は、空き教室や図書室で時間を潰します。そんな時の自習仲間の1人がO君です。

 

この頃の私の学力は、中の下、いや、科目によっては下の下かも。

言い訳をしておくと、高校は進学校で周りの友達が皆んな頭良かったし、この頃の私は家庭事情の色々で疲れていて、学校が休息の場で、学校の授業中は休息モードで。スヤスヤ寝ていました。授業なんてほとんど頭に入っていなかったのです。そのかわり、テスト前などは、図書室や空き教室で勉強していました。

 

私の名誉のために書いておくと(笑)理学療法士の養成校に入ってからは真面目に勉強したので、成績は上の方でした。

 

O君は、背が高くて、スポーツもしていて、いつも笑顔で、誰にでも優しくて、建築士になるのが夢の、絵に描いたような好青年でした。

 

テスト前に、解けない問題があると、時々O君に教えてもらっていました。テストの前日に、台風が接近していて、「あぁ、台風が来て休校にでもならないかな。」と、図書室のパソコンで天気予報ばかり見ていた私の後ろで微笑みながら、「◯◯さん、そろそろ、勉強した方が…。多分、休校にならないから。」って静かに諭してくれた事もありました。

 

夏くらいだったかな。

私は、理学療法士になろうという意思を固め、推薦入試にかけようと、空き教室で小論文の練習をしたり。面接対策で、自分がなんで理学療法士になりたいのか、理学療法士になって何がしたいのか、そんな思いをノートに書き出す作業をしていました。

 

そんな所に通りかかったO君。

「これ、読んで良い?」

と私が書いた小論文を読み始めます。テーマはなんだったかな。受験する学校の過去に出された小論文のテーマで、ひたすら書く練習をしていたんだけと。「多角的視点」とかだったかな。

 

読み終えたO君は、少し驚いたような嬉しそうな、そんな表情で、

「◯◯さんって、ただの天然な子じゃないんだ…」と言ってくれました。

 

私は、自分ではそうは思わないんだけど、いやちょっと変なところでネジが緩んでるなとは思うけど、小学校の時も、高校の時も、社会人になってからも、天然だと良く言われます。すごく真面目にしっかりと向き合うところと、それ以外では適当で抜けているところと、極端なのかもしれません。

 

O君は、それから、私が小論文を書き上げるたびに、読みに来てくれて。感想をくれました。

 

そんな、放課後に時々同じ時間を過ごす。というような、関係のまま、卒業式を迎えます。卒業式が終わった後、「◯◯さん、一緒に写真撮ろう」と言われて、撮ったツーショット写真は、今でもアルバムにしまってあります。

 

ただ、卒業式の日の私は、I 君とのお別れが頭をよぎっていて、今日で毎日会えるのも、もしかしたら2人で会えるのも最後かもしれない。という複雑な気持ちでいたので、O君の気持ちを想像する余裕はありませんでした。

 

卒業式が終わり、その数日後にI君と別れ。さらにその数日後にO君からメールが来て。外で会って、思いを告げられました。まだ失恋から立ち直れない私は、次を考える余裕などもなく、そして後で説明するけど、色々な思いがあり、O君の思いに応える事は出来ませんでした。

 

でも、O君は、いつか時間がたって前に進めそうになるまで、思っていてもいいですか?

 

みたいな事を言ってくれました。

その後、わたしは、しっかりと1年は I 君の事を引きずる訳ですが、3か月に1回とか、半年に1回とか、O君がくれるメールに返事をしたりはしていました。◯◯さんの好きな歌手がテレビに出てるよ。とか、そんなたわいもないメール。20歳の夏まで、そんなやりとりは続きました。

 

そんな関係性の中、O君としっかり向き合ってみよう。と思ったことはありました。でも、O君は、誰が見ても、明るく優しく真面目な好青年です。スポーツだって出来るし。誰に対しても優しい。不幸なイメージが全く無かった。

 

私は、

病気の事や、複雑な家庭事情や、明るくない要素を持っていて。O君はそんな私の背景を知らなくて。自分の色々を話して、背負わせてしまうのは、重いんじゃないか。I 君の時みたいに、私が頼りすぎてしまって、結局相手を幸せに出来ないんじゃないか。色々考えました。

 

O君は非の打ち所がなかったから、私じゃなくても、絶対に幸せになれると思った。世の中には、健康でステキな女性が沢山いる。O君の、幸せそうな、爽やかで、純真で、透明な、優しい笑顔に、私の色々を背負わせてはいけないんじゃないか。

 

病気の事、家のこと、ちゃんとO君に話せたら。O君は、きっと、全部一緒に背負ってくれる。一緒に悩んでくれる。自分のことより相手の幸せを考えるような、そんな優しいイメージがあったから。だからこそ、私は頼りすぎてしまうかもしれないし、この人の幸せな人生に重い荷物を与えてはダメだ。と思っていました。

 

O君とは、その後1度だけ、会う機会があって。私はその日に病気の事も全部話してみようと。少し思っていました。でも、目の前で幸せそうな笑顔を見せるO君を見てたら、やっぱり言うことが出来なかった。

 

結局、最後までO君に、自分の色々を話す事はしませんでした。

 

そんなO君が結婚したと、風の便りで聞いて、幸せそうな写真も見せてもらった時には、良かったね。っていう嬉しさと、ほんの少しの寂しさとがありました。嬉しさの方が断然大きかったですけどね!

 

〜まとめ〜

 

私の、恋愛に迷走していた頃のお話でした。

I君との出会いで、人に頼る事。を学んだ私だったけど、その恋愛が失敗することで、

人に頼りすぎてはいけない。自分が重荷になってはいけない。とも、思うようになりました。

 

そして、I君と別れてからは、大人といわれる年齢に近づいていって、結婚とかそういうものも考えだす年頃になってきました。私の病気は、相手に色々なものを背負わせる事になるんじゃないか。好きな人には、もっと健康的な女の人と一緒になってもらった方が幸せなんじゃないか。なんて自己犠牲的な考えを持っていた時期でした。だからか、幸せそうなイメージが強いO君の懐に1歩踏み出す事が出来ず、長い間、好意を寄せてくれた優しいO君に、私は自分の病気の事を話すことは出来ませんでした。

 

人に頼る事は大事。

頼りすぎて相手をつぶしてしまってはダメ。

そのバランス。

 

"人に頼ること。頼りすぎる事。"

この頃の私の無意識のテーマだったのかも。

 

長くなりました。今回は、こういうエピソードでしたが、

私は今結婚しているし、今の夫に、私の色々を背負わせているなんて思いはそんなにないし、こういった色々な経験から、色々学んで、感じて、今があると思っています。

 

私もそんな時あったな。とか、今まさにそうだよ。とか、共感とか、色々。何か感じたり、考るきっかけになってくれたら嬉しいです。

 

読んでくださってありがとうございました。

 

つづく。