Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

私と精神科③

こんにちは。

続きを書いていきますね。

 

理学療法士の学生時代

 

理学療法士の学生時代は、とにかく一生懸命勉強しました。一生懸命友達と遊びました。今でも年に1回集まる仲間は、家族のように身近な存在です。2年生の時に初めて1週間の臨床実習がありました。その実習を終えて、私は声帯の再建手術をすることを決意します。日常生活では手術の必要性はそんなに高くはなかったのですが、理学療法士になるためには、もう少し自由に操れる声が必要だと思ったからです。手術は1週間くらいの入院で無事に終わりました。その後、外来で2,3か月言語聴覚士さんとリハビリをして、今に至ります。そこまで、理学療法士になるために頑張っていた私ですが、4年生の1回目の臨床実習(2か月の実習が2回あります)中、自分の体力に不安を覚えて、この身体では理学療法士としてやっていけないのではないかと不安になって、1度だけ学校を辞めようと思った事があります。校長室で、それをとめてくれた学校の先生達。「あの子は大丈夫。現時点で資質に全く問題はない。」と学校側に進言してくれた、実習地の病院で、私を担当をしてくれていたスーパーバイザーの理学療法士の先生。

あの場面で私の退学を引き留めてくれた先生たちのおかげで、今の私がいます。

 

本当に、心から、辞めなくて、あきらめなくて、よかった。

 

最初の職場

 

そんな風に、周りに支えられながら、自分も努力して、無事に理学療法士になる事が出来ました。新卒で就職したのは、家から30分以内で通勤することが出来る、小規模な総合病院でした。リハビリのスタッフは10人以下で、アットホームな職場でした。ここでの3年間は、学び続ける事の大切さを教えてもらった、とても大切な時間でした。公私ともに仲良くしてくれた先輩達に感謝です。

 

スキルアップのための転職

 

3年後、私は、もっと大きい病院で学んでみたくて転職することを気めました。

でも、この転職は、なんとか保っていた心身のバランスを、完全に崩してしまうキッカケになってしまいました。

(今だから少しだけ笑って話せます。苦しかった事も、楽しかった事も、何事も、そうやって時間とともにいつか過去になっていくのだと思います。)

 

転職した病院は、地域の二救救急 (24時間体制で救急患者の受け入れをする病院) を担う少し大きめの総合病院でした。リハビリテーション科も数十人のスタッフが在籍し、心臓リハチーム。整形外科チーム。脳外科チーム。などチームに分かれて専門性を磨いています。アットホームのアの字もない、やる気と情熱に満ちた勉強熱心なスタッフの集団でした。まぁ、私もそこで腕を磨きたくて自ら転職したわけですが・・・。

そこで、私がまず配属されたチームは、整形外科・脳外科チーム。糖内科チーム。

ちょっと兼任しすぎじゃないですか・・ねぇ。心臓だけ外される奇跡・・・(笑)

しかし、心臓リハには特別な想いがあった私は、勝手に心臓リハチームのカンファレンスや勉強会にも忍び込んだりしていました。

 

この病院は、新卒で入るのは結構倍率が高い病院なのですが。ある勉強会で、私の事を気に入ってくれた方が、たまたまここの科長さんで。特別枠で年度途中から入職させて頂きました。なのに、期待に応えられず、あんな形で退職となってしまった事。今でも少し、申し訳なく思っています。私を成長させようと、難しい患者も多く担当させられました。いや、させて頂きましたかな。(性格がとかでなく、複雑骨折とか、若くして癌を患った方など。病気が難しいという意味です。)昼休みは、勉強会の準備や物理療法の機械の準備。夕方からは日替わりで、各科のカンファレンスに出席。新人の私は、カンファレンスで医師が使用するであろう、画像データを事前に全てパソコン上に用意したり。カルテを先生の前にスッとだしたりします。これ、間違えたり遅かったりすると、すごい嫌な顔されるんですよ(笑)。私、おっちょこちょいだから、よくやっちゃうんですよ(笑)。白い巨塔みたいでしょ。毎日帰宅は11時過ぎ。ストレスフルの上に、体力的にもオーバーワークでした。

 

今考えると、私の反省点は、

〇この身体の体力を自分自身が把握しきれていなかった事。

〇他の人と自分を比べて理学療法士としての成長を図っていて、それを急いでいた事。

〇上司に、私の病気の事は話していなかったし、病気を理由にすることは自分への甘えだと考えていた事。

〇「今辛いです、しんどいです」と周りに相談できなかった事。

などかなと思います。

 

一言でいうと、

"まだ自分自身というものを、自分の身体と心を理解していなかった。"

 

精神科クリニックを受診するまで

 

心身共に疲れきった私は、それでも、どうしても自分から「辛いです。」と職場のスタッフに相談する事が出来ずに、ある時から病院に行くことが出来なくなりました。後から聞いた話。病院の上司は、その時まで私の異変に気付かなかったみたいです。それは、先生が鈍いからではなく、私がそういう弱い自分を隠して大丈夫なふりをして職場で働いていたから。周囲にどう助けを求めて良いのか分からなかったから。

すべてに追い詰められたような気持ちだったし、自分に自信がなくなっていたし、気持ち悪いし、倒れそうだし、眠れないし、食欲ないし。10年くらい前の事なのではっきりと覚えていませんが、こんな症状があったように思います。

 

でも、いつまでも病欠できる訳ではないので、私はパソコンで精神科を検索しました。住んでいる家や職場から少し離れていて、でも30分くらいで行けて、良い先生がいそうな所。と思って探しました。あと、初診まで1か月より早く予約がとれる所。

よく、精神科はちょっと行きにくいから、心療内科に。という声も聴きますが、なんとなく、私は、今回の仕事に対するストレス以外にも、これまでに抱えていた闇みたいなものも心の奥に感じていて、今回の仕事のストレスは一つの引き金だったけど、その裏に今までの色んな積み重ねがあった気もして、しっかりと心と向き合いたくて、精神科の専門の先生を探していました。

私のイメージです。合っているかどうかは分かりません。心療内科も精神科もどちらも"こころ"を扱いますが、トラウマとか、イライラ、落ち込み、身体の重さ、幻覚・幻聴、死にたいという気持ち、消えたいという気持ちなど。"こころ"そのものに自覚症状があるのなら精神科なのかなと思います。

一方で、お腹の痛みだったり、胸やけや吐き気だったり、動悸だったり、喘息だったり、そういった身体症状が主だけど、それが何だか心のストレスと関連しているような気がする。こんな場合は心療内科でも良いのかなと思います。

どちらにせよ、親身になってくれる先生との出会いが大切ですね。

 

そんなこんなで、HPの印象が良かった1つの精神科のクリニックに電話をしました。

電話で簡単な症状を聞かれた気がします。受付の方の優しい声に安心しました。

精神科に初めて予約の電話を掛けるときは、なんだかドキドキ緊張します。

何を聞かれるんだろうか。とか、未知の場所に踏み込むような気持ちで。

そんな時に、業務的な話し方だったり、ちょっと冷たいような印象を受けてしまうと、やっぱり行くのやめようかな。という気持ちになってしまいそうですが、幸いな事に、私の対応をしてくれた受付の方は優しい声で、ゆっくりとした口調でお話して下さり、なんだか安心したのを覚えています。

 

ここで、職場の上司に。実は鬱っぽい事。どうしても出勤出来ない状態である事を連絡しました。電話でうまく説明できなかった私は、詳細はメールでもいいですか?と許可をとって、文章で今の状況を説明した覚えがあります。病院を受診したらまた連絡をする。という事になった気がします。

 

今もお世話になっている精神科クリニックの初診

 

病院の初診。

この時は、少しの緊張と、やっと誰かに診てもらえるという安堵感も少しあったような気がします。でも、1回受診しただけで、その後どうすればいいんだろう。といった、先が見えないの不安感とか、この先どうなってしまうんだろう。といった気持ちもあった気がします。

 

初診時には、今の状態を先生に説明し、先生はそれを真剣に聴いてくれました。一通り話を聞いてくれた後で、健康と病気の間にグレーゾーン(健康とも病気ともいえない間の部分)が存在すること。病気になる前には必ずこのグレーゾーンを通る事。グレーゾーンでの対応の大切さ。などの話を聞かせてくれました。診察の後で、質問紙法の心理検査を2種類、待合室でやりました。確か、1つは性格分析みたいなもので、1つは今の心がどんな状態にあるのかの検査。だったと思います。そして、看護師さんによる採血も行いました。診察の際に、先生は、この検査の必要性の説明もしっかりとしてくれました。精神科で採血をする事は、その時の私には少し意外だったのですが、基本的な血液データから得られる健康状態の指標は大事だし、こころ以外に原因がないかを精査するのも大事だし、会社の健康診断などでは調べない、甲状腺ホルモンの値を調べる事で、鬱状態の原因が、甲状腺ホルモン異常でないのかを調べることも大事だし。検査の目的としては、そんな説明だったと思います。心の治療と並行して、内科的な治療が必要な場合もありますもんね。こうして、客観的なデータもきちんと調べてくれる先生に出会えた事は、私の中で1つの希望になりました。

 

「この先生、すごく出来る先生かもしれない。」と。

ごめんなさい(笑)。かなり失礼な上から目線の感想・・・

今思い出すと、なんというか、すみません。

すみません100回くらい言っておきます。

 

その1週間後に2回目の診察があり。前回の心理検査の結果や血液検査の結果を説明して下さりました。客観的にみて、この値は、死にたくなったり、そんな事を考えてもおかしく無い数値だよ。と説明して下さり、それを聞いた私は、「あぁ、自分の感じていた身体やこころの違和感は、大げさではないんだ。休んでもいいんだ。」となんだか安堵したのを覚えています。客観的にそう言われるまでは、まだ、自分の心が弱いだけではないか、甘えているだけではないか。と思っていました。こういった認知の歪みも、鬱状態の症状なのかもしれません。先生は、その場で、休職が必要との診断書を書いて下さりました。診断名は"うつ状態"でした。その診断書を職場に郵送し、職場の上司と少しやりとりをし、私はしばらく休職をすることになりました。

 

つづく。