Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

私と精神科②

こんにちは。

私と精神科について。どこから話し始めたらいいのか、迷うところです。

 

私は、最近「おやすみプンプン」という漫画読みしました。全13巻まである物語で、プンプンという主人公が小学生の時から始まって、その成長を描いていって、最終巻でプンプンは大人といわれる年齢になっています。結構夢中で読み進めたのですが、結末まで読み終わると、過去の色々な出来事が繋がっていたり、それぞれの登場人物が、色々な出来事を経て最終巻の結末へ繋がっている。と思うと、結末を知った上で、もう一度最初から読んでみたい気持ちになりました。

 

どう書いていくのが一番良いのかは、分かりませんが、

とりあえず、プンプンに習って、まずは私と精神科の歴史をざっくりと過去から今現在まで振り返ってみたいと思います。その後で、私と精神科にまつわる事を1つづつ、もう少し詳しく書いていけたらいいなと思います。

 

最初の症状

 

中学の入院中。大きな手術を終えて、人工呼吸器を離脱し、点滴やドレーンも取れ、病院内での生活が安定してきた頃。このころから、"一過性の視野狭窄"という症状が出始めます。突然、片方の目の視野が狭くなり、上半分とか、下半分とか、真ん中だけとか、一部分しか見えなくなり、他の部分は白いもやのようなもので覆われてしまいます。痛みもなければ、かゆみもないです。ただ、1、2分の短い間、視界が狭くなります。そして何事もなかったように、スッと元に戻ります。私は、この事を誰にも言いませんでした。

 

⇨思えば、抑圧していた心のストレスが、症状として身体に現れた一番最初の出来事であったのかなと思います。

 

中学校での生活

 

 学校生活に戻るのはとても苦労しました。手術の合併症で、声帯が片方が麻痺し、うまく声が出せなかった事、10㌔痩せた身体で1日学校で過ごす事も大変なくらい体力がおちていた事。中学時代は、生活の全てが、日常生活を取り戻すリハビリのような感じでした。が、鬱っぽくなったりとか、ストレスが溜まっているような自覚は全くありませんでした。とにかく、いつも、病気とか環境とかに負けたくなくて、頑張っていました。視野の狭窄は相変わらず時々ありました。

 

小学4年生から中学生時代の家庭環境

 

家族の事は、一部フィクションだと思って読んで下さい。信じるか信じないかはあなた次第という感じで。このブログは3人の友人と皆さんしか読んでいません。でも、いつか両親や私の近しい人が見つけるかもしれない。私の知り合いがこのブログをたまたま見つけたら、一発で私だと分かると思います笑。そうなった時、私に関する事実がばれるのは良いのですが、家族のプライバシーに関わる事を公開しすぎてはまずいと思います。なので、今までその辺りを濁していました。でも、私と精神科の出来事を語る上で大事な部分であったりもするので、少し書いていきます。私の事に関しては作り話は一切なしです。ただ、家族の出来事に関しては、少しだけ事実を変えて、でも、私のエピソードの大筋は変わらないように、紹介していきます。ご理解下さい。

 

私の家族は、私が先天性心疾患という以外は、ごく普通の家庭でした。それが変わったのが、小学4年生くらいからでしょうか。私には兄が1人います。兄は、学校での生活が上手くいかず、ある時期から、家庭内で荒れだし、たぶん通常の反抗期という域を超えて、家の中で暴れていました。兄とは、体格差もあるし、私にとって威圧感とか恐怖感とかがあったと思います。直接暴力は受けませんでしたが、家の中のモノを壊しまくったり、物を壁に向かって投げつけたり、とても友達を家に呼べるような環境ではありませんでした。父は普通のサラリーマンでしたが、ある時から、脱サラしお店を始めます。しかし、不景気の中での自営業は難しく、借金を抱えた状態で、お店は閉店。我が家は、経済的にもとても苦しい状況になりました。

 

高校時代から20歳まで

 

高校に入学して少しした頃、両親は持ち家を売却しました。ここから、私の漂流生活がはじまります笑。高校生からの5年間で、引っ越しの数は4回。そのうちの2回は自分の家族と、あとの2回は、自分の家族から離れ、父方の祖母と高校の近くのアパートで2人暮らしをしたり、母方の祖父母の家に1人居候をしたり、経済的な理由とか色々な家庭事情で、色んな人と暮らしました。そんな16歳から20歳時代でした。

後は、高校生活の前半。私のトラウマになるような出来事がありました。

病気に関しては、なぜ私の2回の手術が失敗してしまったのか。気になりだしたり、自分の病気について知りたくなったり。将来への不安が出てきたり。色々分かり始めてきたが故の悩みが出て来た時期だと思います。

 

この頃になると、徐々に、世界が白黒に感じていったり、食欲が無くなったり、夜眠れなくなったり、「あれっ、私どこか変かも・・」と自覚するようになりました。

 

初めての精神科受診

 

18~19歳頃だったと思います。高校を卒業する頃、なんとなく感じていた自分への自覚症状が、より表面化してきます。不安感とか、孤独感とか、夜間の不眠と日中の過眠とか。いよいよ、1人ではどうする事も出来ないと感じた私は、親に内緒で精神科を受診しに行きました。この頃はまだ、私がしっかりしなければという思いや、家族の問題も自分の問題も、全て私が解決すべき問題だと勘違いしていたりして。私が元気にならなければ!と思っていました。けれど、もう1人では、この場所からどう抜け出したらいいのか分からなくて、どうしたらいいのか分からなくて。そんな思いで精神科を受診した記憶があります。未成年で、親の承諾書なしに、診察をしてくれた先生に出会えたのは幸運たっだようです。親同伴でなければ、薬は出せないようで、私は先生にお話しを聞いてもらいました。

優しい雰囲気のいい先生だったのですが、結局3回ほどの受診で、自然に行かなくなってしまいました。その時の先生のアドバイスは、「家族からも親戚からも距離を置いて、1人暮らしをした方がよい」という事でした。あまりに多くの問題点から物理的な距離を置き、自分だけの事を考えられる環境を。安心できる家を。という先生の意図だったのかなと思います。

その後は、理学療法士という目標があった事、学校の先生や友人に恵まれた事、などあって精神科受診はせずに、なんとか生活を続けていました。でも、楽しい学校生活の傍らで、たばこに手を出したりとか、死にたくなったりとか、やはり、心の奥に何かを抱えながら、生活していたように思います。

 

ざっくりと言いながら、少し長ったらしくなってしまいました。

病気と私の事については今まで色々書いてきたので、その他の事を中心に書いてみました。病気との色々な葛藤については、これから少しずつ書いていきますが、良かったら、今までの記事もご参照下さい。カテゴリーの分類してあります。スマホから見ている方は、PC版を表示という下のボタンを押して頂ければ右側に出てくるかなと思います。

 

一旦切りますね。

この後に、

今通っている精神科クリニックとの出会いから、今現在までの流れを 

書いてみようと思います。

 

最後に、ちょっとこの土日のエピソードを。

土曜日。お天気が良かったので、シーツや布団カバー、枕カバーなど、ベッド周りのあらゆるものを洗濯したりお日様には干しました。恥ずかしながら、普段の忙しさを理由に、こういう事をやる頻度は少なめなので、洗いたて、干したてのシーツを敷いた、ふかふかベッドに寝転がる時はなんとも幸せな気持ちでした♡

ベッドに寝転がった10分後、

「ママー、おねしょしちゃった(てへっ)」

 

今週、1番のショックでした笑。

 

読んで下さった方、ありがとうございます♬

 

つづく。