Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

手術の傷跡⑧〜大人編 私とプールと海と水着と〜

こんにちは。

今週はいく先々のお店で、ハロウィンの飾りを売り出していて、びっくりしました。

夏もそろそろ終わりますね。

 

前回は温泉について書きました。

温泉と同じように、あの頃の私が自分には一生縁がないと思っていたことは、

"可愛いビキニの水着"です。

でも実は、大人になってから、人生で1度だけビキニを着た事があります。

今日は、『プールと海と水着』について、どんな風に身近になっていったのか、これまでの事を振り返ってみようと思います。少し長くなります。

 

学生の頃は、

可愛い水着を自由に着れる女の子達が、

当たり前に夏を楽しめる女の子達が、少し羨ましかったです。

そして、もう1つは、

水着を着ている女の人の傷ひとつない身体を見ると、キレイだなぁと。

単純にキレイだなぁ・・と見とれてしまいます。

 

同じ女性だけど、

自分にはないものを持っているみたいな。

永遠に手に入れる事が出来ない憧れみたいな。

大げさですが、そんな感じです。

これは、今でもそうかな。

別に悲しい気持ちになったりはしないけど、とにかく、きれいだなぁと憧れます。

 

(いままでに、何度か書いていますが、私は開胸手術を何度かしていて、最後の手術は中学になってからです。傷は長めで、下に行くほど少し太くなっています。開胸手術以外の手術もあったので、背中やお腹にも傷があったりします。自分が大変だったという事ではなくて、小さい頃に手術をして、ほとんど傷が目立たなく、ビキニなどを普通に着て夏を楽しんでいる先天性心疾患の友達もいます!傷跡の状態も個人差があるし、どんな長さや太さの傷でも、気にするか気にしないかは、人それぞれです。だから・・親御さん達、このブログを読んで、心配しすぎないで欲しいです。もし悩む時がいつか来たら、その時にそっと寄り添ってあげて欲しいなと思います。)

  

小学生の頃は、プールの授業にも参加していたし、お休みの日に家族でプールに行ったり、父に泳ぎ方を教えてもらったりしました。友達とプールに行った事もありました。夏休みにプールに行くのは大好きでした。

 

でも、結構泳ぐ練習をしたのですが、私は泳げません。

小さい頃から、ふし浮きをしても、だんだん沈んでいっちゃって、バタ足をして前に進む事は出来ますが、クロールの息継ぎで、顔をいくら横に振っても、水面より上に顔を出せなくて、息継ぎが出来ません。大人になってからも、少し練習しましたが、どう頑張ってもほんの少し沈んでしまい、息継ぎが出来ないのです。

相当な運動音痴なんだと思っていましたが、この仕事についてから、私がなんで水に浮き難いのかその理由が少しだけ分かりました。

 

理由その1:痩せているから。

私はどんなに食べても太れません。

羨ましいと言われる事もあるけど、細い身体が結構コンプレックスです。

子供の頃は、"ガリ"とか、"ほね"とか、"お骨"とか、色んなあだ名をつけられました。

子供って見たままを言うから、残酷ですよね(笑)。

だからか、今でも、女性らしいふっくらとした身体に憧れています。

太れない理由も、医療の勉強をしてから1つ思い当たる理由を見つけましたが、長くなってしまうので、ここでは省きますね。

(これにも個人差ありです。先天性心疾患児皆が痩せすぎて困る訳ではありません。)

水に浮くとき、女性や少し太っている方の方が浮きやすく、

体脂肪率が低い筋肉質の男性の方が浮きづらいと言われています。

これは、脂肪は水に浮きやすく、筋肉は重いため浮きにくいという特性があるからだそうです。私は、皮下脂肪はほとんど無かったので、浮きにくい身体だったんだと思います。

 

理由その2:片方の肺に空気が入りづらいから。

私は、子供の頃の手術で横隔膜の神経を切断しました。この神経は成長とともに復活する事も少なくないのですが、私の場合は復活せず、息をめいっぱい吸っても、肺の膨らみは少なく、肺活量は極端に少ないです。つまり、水に浮くときに浮袋の役割をする肺の膨らみが半分なので、浮きにくい身体だったんだと思います。

 

こんな感じで、大人になってから、泳げない原因を自分なりに解釈し、納得することが出来ました。

「じゃぁ、しょうがないか! 」って。

「自分の努力とは別の問題なんだ」って。

それでも、本当に泳ぎたいと心から思って、本気を出してプロに教えてもらえば、きっとお魚のようにスイスイ泳げる事も出来ると、本気で思っていたりもします♡

 

話がまとまらなくなってしまっていますが、

プールと海と水着にまつわる事を、順番に思い出しながら書いているので、

ご容赦下さい。

 

中学生の時は、一度も水着を着なかったと思います。

 

高校生になり、高1の夏だったかな・・。ある男子に、海かプールに行こうと何度か誘われました。私は毎回理由をつけて断っていました。明らかに水着を期待している感じの人だったから、行けるわけありません。それ以上好きになることもなく、自分の事を知ってもらいたいとも思わず、恋は始まらずに終わりました。他には、バイト先の仲間達に海に行こうと誘われた時も、迷う事なく、理由をつけて断っていました。沖縄の修学旅行の話はこの前書いたので省きますね。

 

高校の頃も、こうして振り返ってみると、

プールや海を避けていたし、水着を着た事もなければ、

着たいとも思っていなかったです。

私には縁のないものだと思っていました。

 

理学療法士の養成校に入って、

ほんの少しの期間ですが、スポーツジムでインストラクターのバイトをします。

運動音痴で有名だった私が、ジムのインストラクターをしているなんて、

高校の友達が聞いたらきっと皆笑うでしょう。

でも、筋肉と骨の知識はあったから、面接を受けたら受かっちゃったのです。

基本的には、マシントレーニングをしている人のサポートが仕事でしたが、たまにプール内のスタッフとして、水着を着てプールサイドに立たなければなりません。

泳げない私は、プールの監視は出来ませんが、受付として、プールに入って来た人達の簡単な健康チェックをしていました。血圧測定とか。プール内なので、もちろん水着着用です。でも、スポーツタイプの水着だし、上から大きめのTシャツを着ているので、抵抗なく水着を着る事が出来ました。

 

これが、中学の手術以降、初めての水着でした。

水着を着るきっかけとしては、ちょうど良かったと思います。

 

しかし、私は中学の手術で声帯の神経を片方切っていたので大きな声が出せず、

当時の私の声の大きさでは、プール内では声が届かず、

『もっと大きい声を出すように』と何度も先輩に注意されてしまいました。

結局それが面倒になり、このバイトは短期間でやめました。

嫌な思いもしましたが、水着を着るきっかけを作ってもらえたので、

そういう意味では、意味のある時間であったのかなと思います。

"意味のない時間はない" なんて言うけど、まさにそんな感じです。

 

専門学校でも、海に誘われたりしましたが、断っていました。

でも、4年間苦労を共に過ごす中で、家族のような関係になった仲間たち。

病気に対する理解もあるし、今誘われたら、迷わず行くかな ♬

水着に対する抵抗感も、若い頃に比べたらかなり低くなっているし、

手術の傷がチラッと見えても構わないと思える関係性だし。

温泉は嫌ですが(笑)。

 

そして、専門学校2年生の夏。夫と出会います。

始めてプールに行ったのは25歳くらいの時だったかな。

ずいぶん時間がかかりました。

 

元々、海やプールに全然興味のない夫なので、付き合っている学生時代に、デートで海とかプールに行こう!となる事はありませんでした。私が、傷を気にしているのも知っていてくれたので、余計に誘われなかったのかもしれません。

 

でも、夫の地元は海沿いの地域だったので、海を眺めにいったりはしていました。

海を眺めるのとか、波うち際で、足先だけチャポチャポつけるのは大好きでした。

この頃から、少しずつ"海”が身近になってきました。

 

社会人になって、3年目くらいでしょうか。

夫と一緒に住むようになった最初の夏。たまたま、家の近くに、市が経営している屋内プールがある事を発見しました。社会人になってから順調に太り始めていた夫は、運動目的で。私は興味本位で。行ってみようかという事になりました。

市の屋内プールなので、水泳帽も着用必須ですし、皆運動目的で来るような場所なので、ビキニとか可愛い水着を着ていたら、逆に目立ってしまうような施設でした。

だから、スポーツジムで使っていた、スポーティーな水着を気兼ねなく着れるし、

夫となら手術の傷跡も気にせずにいられるし、産まれ育った地元とは離れた場所だったので、知り合いに会う事もないし。

プールデビューにはちょうど良い条件が揃っていました。

そこから、お休みの日の気分転換に何回か通ったかな。でも、ろくに泳げない私はすぐに飽きてしまって、ひと夏の思い出です。

 

こんな感じで、何気ない日常の中で、自然にプールデビューを果たしました。

 

夫とは、一緒に住み始めた翌年に入籍して、

さらにその翌年に結婚式を挙げて、

新婚旅行はハワイに行きました。

 

あの頃の私なら、新婚旅行の旅先で、

わざわざ『海』を連想させる、ハワイを選ぶなんて事はしなかったです。

でも、この時は、海の近くに住み始めて3年目。

海を眺める事が日常になってきていて、海沿いのカフェでのんびり過ごしたり、

お休みの日に海が見える温泉で仕事の疲れを癒したり、

気分が落ち込む時は、海沿いを散歩して波の音に癒されたりと、

いつのまにか、私はすっかりと、海の魅力にはまっていました。

ハワイの綺麗な海が見てみたくて、

そして、ハワイの海で可愛い水着を着て海水浴をしてみたい!

と自然に思えるようになっていました。

 

ほんとに人生って何が起こるか分からないなぁと思います。

 

さぁ、ここから、私は人生で初めて可愛い水着を選びに、デパートへ行きました。

どうやって選んだのかはあまり覚えていないのですが、

とにかく、一生に1度の新婚旅行だし、一緒に行くのは夫だし、

傷が出る出ない関係なく、

『可愛い♡♡』

と思える水着を買おう。と思っていました。

そして、人生で1回くらいはビキニを着てみたいなと思って、

少し・・・、いや、かなり思い切って、

可愛いビキニの水着を購入しました。

 

ハワイでは、海水浴をしたり、オプションのツアーで天使の海に行ったり、

シュノーケリングをしたり、何度も水着を着ました。

 

慣れないビキニの露出度に、多少の恥ずかしさはあったものの、

不思議と、

傷が見えて恥ずかしい。とか、

他人の視線が気になる。とか、

そういうのは、全くありませんでした。

 

多分、異国の地だったから。

自分にとって、非日常だったから。

あと、新婚ボケしてたから笑。

 

私は英語が話せないし聞き取れないので、

例え、向こうのガイドや他の人達が、私の傷に気づいて何か言ってきたりしても、

私の事を話してるのかどうかも分かりません。

話しかけられても困るので、

私も周りの顔色を伺ったり、表情を敏感に観察したりもしません。

日本人も周りにいますが、みんなハワイに浮かれているので、

周りなんて見ていません。

ただその場にいるのは、自分と夫だけで。

 

ハワイにいる間は、周りの人の視線とか、会話とか、声色とか、表情とか、

全く意識に入れずに生活していました。

日本では、つくづく周りに気を使って生活していたんだな。

と思い知らされました。

 

帰国してからは、しばらくして子供も授かったし、

その後ビキニを着る機会は無かったし、

多分今その水着を着ろと言われても着れないけど。

その1回の経験が、私のこれまでの人生でとてもいい思い出です。

 

1度やりたい事を思い切ってやってみたから、

なんていうのかな、、

満足しています。

 

そして、去年の今頃は、家族で沖縄旅行に行きました。

もちろん水着を着て海も楽しみました♡

高校の修学旅行のリベンジですね。

 

こうやって、人との出会いや、周りの環境、ふいの出来事などが重なって、

無理せずとも、少しずつ、

出来る事というか、楽しめる引き出しが増えていった様に思います。

 

あの頃の私に教えてあげたい。

時間はかかるけど、

結構色々な事が出来るようになるよっ!って。

 

それは、同情とかしないで、病気と私を切りはなして私自身を見てくれる、

自然に隣にいてくれる、夫のおかげかもしれません。

 

本当に私の病気に興味ないんですよね笑。

このブログも絶対読んでないですし笑。

 

色んな支え方をしてくれる人がいると思うし、

もっと病気に寄り添って支えてくれるステキな男性もいると思います。

でも、私には、今の夫の感じが丁度合っているのかもしれないなと思います。

 

今回は、長くなってしまいました。

読んでくれた方、ありがとうございます!

 

余談〜水着の流行のお話〜

2年前くらいから、水着の流行が変わったのって皆さんお気づきでしたか?

最初に流行りだしたのは、ホルターネックタイプで鎖骨周りがすっぽり隠れる感じのビキニ。その後、ワンピースタイプもまた再燃し出して。露出が少ないけど可愛い水着が増えてきました。

私が学生の頃は、露出が少ない水着は若い子向けのは中々無くて、大抵やぼったくて、可愛いデザインのものはほとんどありませんでした。

今は露出をおさえて、かつオシャレで可愛らしい水着が沢山出て、ワンピースの水着もおしゃれに着る流行です。おしゃれの流行は繰り返すというけれど、私達先天性心疾患の人達には、いい時代がやってきたな!!と思います♡ 

 

  

おしまい。