Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

過保護と必要保護⑪〜成人編〜

こんばんは。

今日は続きを書いていきます。

 

高校生編からいきなり飛んですみません。

 

高校生の思い出は、他にも沢山あります。

試しに書き出してみたエピソードもあったのですが、このテーマに全部載せようとしたら、きりがなくなりそうですし、他のテーマとして考えていきたい事だったので、一旦潔く終わりにしちゃいました。

 

書き始めてから、長くなってきたので、

もう一度振り返らせて下さい。

 

過保護と必要保護について、

・過保護と必要保護の線引き

・親主体の保護から、自分主体となっていく過程

・病気に対する甘えなのか、自身の身体に必要な休息や対応なのかの線引き

 

この、明確な定義や答えのない、3つの事を考えたくて、今まで自分が経験してきた事を、順番に振り返っていきました。自分でもよく分からなかったので、思い出していく中で、何かみえるものがあればいいなと思って書いていました。

 

あと、もう2つ。

"このテーマについて何か感じられるかもしれない思い出" があるので、

その2つを書いて、最後にみえてきたもの、感じたことを、まとめとして書ければいいかなと思います。

 

書いているうちに変わったらすみません。

 

では、成人編。

書いていきま~す!

 

 親離れと子離れ  

 

私は、今の夫と20歳の時に知り合い、交際し、同棲し、結婚しました。

 

社会人になって3年目くらいだったでしょうか。勤めている病院を変えた私は、体調を崩し、始めての休職をします。ステップアップのつもりでした転職で、残業時間も、1日の仕事量も、勉強量も増え、オーバーワークとなってしまいました。休職をして家にいたのですが、(色々な家庭の状況から)ゆっくりと自分の事だけに集中して休める環境ではなかった事もあり、思うように身体と心が回復しませんでした。

 

そんな時、当時の夫が、こっちに来ないか。こっちで体力に合った職場を見つけて、一緒に暮らさないか。と提案してくれました。夫とは、交際して5年目くらいで、お互い実家暮らし。家は電車で1時間半~2時間弱くらいの距離でした。少し遠いですね。

 

でも、一緒にいるのが当たり前だったし、

一緒にいるときが一番自分らしくいれたし、

 

夫と一緒にいるときは、

 

心臓病の〇〇ちゃんでもなく、

(これは家族・親戚からみた私のイメージを私が勝手に想像していたもの)

理学療法士の私でもなく、

いろんな事を乗り越えてきた私でもなく、

ただの私でいれた気がします。

夫の隣は、安全で安心でした。

 

なので、一緒に暮らさないか。という提案を受けて、

一緒に暮らす事がとても自然な事のように感じました。

 

それまでの家族との生活より、夫との生活の方が、

その時の私にはしっくりとくるような、そんな感覚でした。

(わが子にそんな事言われる日が来たら寂しくて泣いちゃう笑。でも親からの巣立ちは、本来喜ばしい事なんですよね。)

 

少し、実家から距離をとり、親から離れたところで、自立して生活してみたくなりました。そして、親離れ子離れの為にも、そうすべきだと思いました。

 

母に、彼氏と同棲しようと思う。と私から伝えると、

案外あっさりと承諾が得られ、いいじゃない。と言ってくれました。

 

彼は、なんども親と顔を合わせているし、

親公認の仲だったし、

恋愛に関してとやかく首をつっこんでくる事はしない両親だったので、

私の予想通り、すんなり事が運ぶと思っていました。

 

 

この時までは・・・・・。笑

 

 

つづきます。