Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

私と精神科⑥~全部ゆるそう~

こんにちは。

 "私と精神科" 続きを書いて行きます。

新しい職場で働き出して2年が過ぎた頃の出来事でした。

私は、2回目の休職をしてしまいます。

その原因にもなった、ある人を、私は許す事が出来ません。

彼は、私と2人の時には、私の"病気である"という、ある種の弱点を沢山つっついてきて。大勢の職員の前では、"病弱な職員を守る上司" を演出する事で、自分の立場をあげて。私の病気は利用されました。

 

その職場を退職した後も、

彼との沢山のやりとりを、利用された日の事を、

何度も何度も思い出しては、

悔しくて、憎くて。

本当は許したいのに、どうしても許す事が出来きませんでした。

 

私は、どちらかというと平和主義者で、喧嘩をしたくないし、嫌な奴も、ずるい奴も、その人が抱える弱さや、その人なりの理由があるだろうから、理解したくて。だから、自分の中に、人を許せなかったり、憎んだりする心がある事が、少し嫌だったりします。

 

病気と社会との間での様々な葛藤を、きっと皆さんも色々経験していると思います。

理解してくれる人、理解しようとしてくれない人。理解不足な人。

助けてくれる人、助けてくれない人。気づかないだけの人。

悪意がない人、悪意がある人。利用してくる人。

 

「私の場合は、こんな経験をしました。」と、

その具体的なエピソードを書こうとしていたのですが、

書きだしてみると、永遠と続く悪口みたいになってしまって。

上手くまとめられない上に、当時の傷ついたエピソードや、その時の思いが、終わりなく思い出されて。

 

一旦記事を書くことを保留にしました。

 

そして、この事を1人で考えるのを止めて、誰かに話してみようと思いました。

誰かに話すと、1人でぐるぐる終わりなく考えているより、

考えもまとまるし、声に出して話してみて、初めて気づく事もある。

そして、誰かに知ってもらう事で、浄化される思いもある。

 

私は、精神科の主治医の先生にこのお話を聞いてもらいました。

そして、帰宅後、まずはノートに書いてみようと。

私が彼にされて、傷ついた事、悔しかった事、憎かった事。

そのエピソードを、大きな事からささいな事まで、思い出せるだけ全部思い出して、書き出してみて、それから、ブログの記事にしていこうと。そう思いました。

 

でも、診察でお話した以外にも、彼とのエピソードは沢山あって。

毎日、毎日、色んな場面で、病気の事を指摘されて。

それを全部ブログに書こうとすると、壮大な文字数になってしまいそうで。

 

そして、ノートに書きまくっている内に思った事。

彼がした事を私目線で一方的に書くと、ついつい自分の良い所を書いて、彼の悪い所を書いちゃうから、フェアじゃないかなぁと。そして、彼も、今や私の知るところでは、一児の父。(もしかしたら、もう2‐3人いるかもしれない。)。お父さんの悪口をネットに永遠書かれていたら、子供は嫌だろうなぁ。

 

だから、1つだけ。彼との出会いの部分だけ。

その部分だけ、書かせて下さい。同じ境遇の皆さんだったら、その部分だけで、その後の苦労を充分想像してくれるだろうと思います。

 

このブログの記事が書けたら、

このノートを、ごみ箱に捨てよう。

嫌だった事はすべて書いたから。

そして、彼を許そう。

自分の為に。

 

前置きが長くなりました。

では、私が傷ついたエピソードを書きますね。

 

◯◯さんとの出会い

 

 新しい職場に移って、8:30-17:30 、週5回、体力的に余裕は無かったけど、やりがいを持って、楽しく働けていました。それでも、2年くらい働いたら、やはり日々の疲労が溜まってきて、だんだん体調が悪い日が多くなってきました。でも、リハビリ科の科長がとても優しくて、具合が悪い時は、時々空いている部屋で15分とか20分とか、ほんの少し休ませてもらったりしながら、周りの人と同じ仕事量をこなしていました。

 

そんな時でした。その科長さんが退職する知らせを聞いたのは。患者さん思いのとても信頼している方だったので、ショックでした。その後任に選ばれたのが、最近入職してきた〇〇さん。

 

彼は科長になるとすぐ、私に、

「◯◯さんは、病気を持ってるんですよね?でも、僕は、特別扱いをするつもりはありません。でも、何かあっても責任は取れないので、出来ないことは出来ないと言ってください。後で言われても困るので。」

 

と言ってきました。

 

「今でも時々、空いてる部屋で休んでますよね? 病弱な職員を採用したのは会社だから、あなたに責任は無いけど、ちゃんと、自分が他の人より弱いってところは認めた方が良いと思います。こんな事言いたくないんだけど、大事な事は最初に言っておかないとと思って。じゃないと、他の人に示しがつかないですからねぇ。科長として、1人だけ特別扱いする訳にはいかないし・・。平等にいかないと・・・。」

 

これが、彼が科長になって、初めて私とした会話です。

15分、休憩させてもらえるだけで、健康な人と同じように働けるんだけどな。

ろくに話をしたことも無いのに、一体私の何を知っているというでしょうか。

 

 「あなたは心臓が弱いです。人より出来ない事を認めてください。」

 

こんなストレートな事を他人に毎日言われ続け、

体力のしんどさに、メンタルのストレスが重なって、

2度目の休職をしてしまいました。

 

その休職は、前回よりは短く、2-3か月くらいだったでしょうか。

私は、色々考えた結果、週5の常勤勤務から、週4の非常勤勤務に形態を落とし、体力面をカバーすることで、同じ職場に復帰をしました。そこからしばらく働き、結局は変わらない科長のスタンスについて行けずに、妊娠何か月目かに、心臓の主治医と、産婦人科医からのドクターストップがかかったタイミングで、いさぎよく退職することを決めました。

 

これが、私が許せなかった人との、エピソードの一部です。

 

と、いうことで、、 

書き終わりました。

 

ここに書いてあることと、ノートに書いた事。

全部書いたから、もう、全部許そう。

 

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 ばいばい。

 

 

つづく。