先生との出会いは中学1年の夏でした。
病院に入院した私に、まず最初に挨拶にきたドクターが先生でした。
私が入院していた病院は、1人の患者に対して病棟での担当医が1人付きます。
それは、外来での主治医でもなく、手術の執刀医でもなく、日々の健康管理や、点滴や採血など、病棟での入院生活を一番身近でサポートしてくれる先生。
担当医はだいたい研修医の先生がつくことになっているようで、
先生もお医者さんになりたての1年目の先生でした。
先生は、背が高くて、穏やかで、話し方がゆったりとしていて、落ち着いていて、優しくて。点滴や注射が誰よりも上手で、そんな先生でした。
この時の私は、まだ周りの子と同じように注射が嫌いで。採血はいいけど、点滴の太い針は怖くて。内心ビビッてて。でも、先生は私の細い血管をしっかりとらえてくれて、絶対に失敗しないから、それに、すごく上手で痛みも少ないから、私の注射に対する怖いイメージはあっという間にどこかに行きました。
1週間の予定で入院した私が、最初に受けた手術は、カテーテルを使用したもので、全身麻酔ではあるけれど、それほど大きな手術ではありませんでした。術後も、ICUに入る事なく、すぐに一般病棟に戻ります。
麻酔から覚めた私は、胸に違和感をおぼえます。
息を吸うと、心臓の辺りが「ズキッ」と痛むのです。
痛みは、それほど大きなものではなく、我慢できるくらいの強さで。
でも、はっきりと。ズキッと針で刺されるような痛みは、今でもなんとなく思い出せます。その違和感を、最初に私が伝えたのは、先生でした。
「先生、なんか、この辺が、痛いです。」と。
そこから、多分先生が、上級医の先生に伝えてくれたのでしょう。
緊急で、造影剤を使用したCTだか、MRIだかの検査をして。
結果は、急を要するもので、家族が呼ばれ、夜から朝までの間、2-3時間おきにCT検査をしました。血管に出来てしまった瘤が、時間の経過とともに大きくなっていて、その状態を検査していたのです。
夜中、誰も居ない真っ暗な病院の廊下を、ストレッチャーで何度も運ばれる私。
私の目線からは、天井しか見えないけど、ストレッチャーを押してくれる先生の顔は時々視界に入っていました。きっと先生徹夜だったよね。ありがとう。
幸い、破裂する直前で瘤の膨らみは止まってくれて。
でも、いつ破裂するかも分からない状況だったから、次の手立てを考えるまで、私はベッド上での生活を余儀なくされました。ベッド上に座るのは良いけど、立つのはダメ。移動は検査の時のみ車椅子で。小児科病棟で、お友達も何人か出来ていたけど、おしゃべりしても良いけど、はしゃいじゃだめ。大笑いしたり、怒ったり、あまり感情の起伏を出さないように。と、指導されました。瘤が破裂したら死んじゃうから。
この時、先生は色んな事をしてくれましたね。
牛乳があまり好きではない私の為に、病院食で毎朝ついてくる紙パックの牛乳を、私の大好きな飲むヨーグルトに変更してくれたり、
お風呂に入れず、ベッド上で自分で清拭をしていた私が、「髪洗いたいなぁ」とつぶやいたら、直ぐに看護師さんに、〇っちゃんの洗髪してあげて。って指示してくれて。その日の内に、看護師さんに車いす上で洗髪をしてもらって。わたしの頭と心はスッキリさっぱりしました。
退院した友達が、病棟に顔を出してくれた時。小児科病棟は、子供は入り口までしか入れなくて。友達もそこまでしか入れないから、ベッド上安静の私は友達に会う事は出来ないなと諦めていたいたら、車いすをもって登場してくれた先生。私の方が、いいの?って。後から先生がもっと上の先生から怒られないのか心配しちゃった。先生は、あまりはしゃがないように、穏やかな気持ちで、会ってくれるなら、大丈夫。と私を車いすに乗せて友達の所まで、押して行ってくれましたね。
いつも私目線の先生。
自分に出来る事は全部してあげよう。という真剣で優しい気持ちを、決して言葉で語ったりはしないんだけど、先生の行動は優しさそのものでした。
先生との思い出はまだまだあります。
私の入院生活の大切な思い出。
医療者としてどうあるべきか。私のアイデンティティに大きな影響を与えてくれた人。
今日はここまで。
おやすみなさい。
つづく。