Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

「がんばれ」という言葉

こんにちは。

今日は、前回に引き続き、

「がんばれ」という言葉について、思い出す事を書いていきます。

 

私は、「かわいそう」と「がんばれ」という言葉が苦手です。

(正しくは苦手でした…かな。)

「がんばれ」という言葉は、言われて嬉しい気持ちになることもある一方で、言われると、とても複雑な気持ちになる事があります。私にとって、あまり良い気持ちにならない「がんばれ」とは、どんな場面だったのか。少し思い出してみます。

 

1番「がんばってね」という言葉を多くかけられたのは、中学の時の入院中や退院後。色々な人から、沢山の「がんばってね」という言葉をかけてもらいました。その中で、1番印象に残っている「がんばってね」のエピソードを書いてみます。

 

大きな手術の当日。

この日は、人工心肺を用いた、人工血管再置換のための開胸手術でした。手術のリスクは、事前に先生から説明を受けていたので、中学生ながら概ね理解していたと思います。手術時間はしっかりとは覚えていませんが、10時間以上であったと聞いています。麻酔から目が覚めた時、今が夜か朝かも、何日経ったかも分からない、不思議な感覚だったのを覚えています。

 

病室からストレッチャーに乗せられて、手術室に向かう途中。家族や心配して来てくれた叔父さんに「がんばってね!」と言われました。ドラマとかで良くあるシーンです。

 

でも、本人である私からすると、

「・・・・?」

「私は何を頑張ればいいんだろう?」

「頑張るのは先生達でしょ。」

「私はただ、先生達を信じて身を委ねるしかないのに・・・。」

「私が頑張って何かが変わるなら、むしろ何を頑張れば良いのか教えてほしい。」

 

という複雑な気持ちでした。でも、手術直前に、そんなへそ曲がりみたいな事は言えないから、周りの「がんばってね!」の声かけに、笑顔で頷くしかありませんでした。その直前の2つの手術では、麻酔から目覚めて目を開けた時、その失敗を告げられていたので、この時の私は、ちょっとひねくれていたのかも知れません。

 

余談ですが、

心臓の手術の説明って、怖いリスクばかり聞かされますよね。今は、インフォームド・コンセント(説明と同意。拒否する権利もある。)の時代だし、お医者さん達もどんなに小さなリスクでも説明する義務があるから仕方がないのですが。それを聞く、親御さん達のお気持ち、痛いほど分かります。

 

話を戻して、

この場面での「がんばってね」に、私は大きな違和感を覚えました。これ以上何を頑張ればいいのだろうって。この言葉を素直に受け取ることが出来ませんでした。

ブログを始めて、同じように、「かわいそう」や「がんばって」の言葉に、"頑張っても病気は完治しないのに"とか、"何を頑張れって言っているの?" などの違和感を抱いてる当事者の方は沢山いて。

 

あぁ、皆んな同じなんだな。と思ったのです。

 

でも、そんな私に、その違和感をとっぱらう、ある出来事がありました。

これは、割と最近のお話。

 

その日私は、色々と悩んでいて、でも前に進みたいと思いながらもがいていて。そんな時にある方から1つのメッセージを頂きました。紹介させて下さい。

 

"教科書的には、頑張ってる人に「頑張って!」と言うのは禁句だけど、「がんばって!」には「Do your best!」の他に「Good luck!」という意味もあるそうだから、あえて「がんばってね」と言いますね。応援してます、という意味です。"

 

結構しょうげきでした。

だって、私は今まで「がんばって!」という言葉は全て「Do your best !」だと思っていて。これが本当なら、嫌、本当なんですけど笑。今まで感じていた違和感が、全部吹っ飛んでしまうじゃないかって。このメッセージを読みながら、今までにかけられた色々な「がんばってね」が頭の中で回想されて。手術室に向かう時、退院する時、病気に立ち向かう場面で、私にかけられていた「頑張ってね」という言葉は、「Do your best !」ではなくて、「Good luck!」だったのか!って。

 

「幸運を。」とか、

「手術の成功を祈っているよ。」とか、

「退院した後も応援してるよ。」とか。

 

そういう意味だったのかって。もちろん、言った人達がそれを明確に意識していたかどうかは分かりません。でも、言葉に出来ない、非言語の領域で、そういう気持ちだったのだと思います。

 

もっと早く、気づけば良かったな。

そして、皆さんにも、この話をいつかお伝え出来ればなと思っていて。

今日やっと、この記事を書いている。という次第です。

 あのメッセージの「がんばってね」は素直に嬉しかったし、

その意味に気づけてからは、

どんな「がんばってね」も素直に受け取れて、

うれしく、ありがたく、感じるようになりました。

 

これを読んでいるお父さん、お母さんへ。

わが子を手術室に送る時、病気と立ち向かう子供へ声をかける際は、「がんばってね」という言葉の中に、『手術の成功を祈ってるね。』とか、『応援してるからね。』という気持ちがこもっている事を伝えてあげて下さい。私みたいに、その一言を発する、心の背景の部分を、非言語の部分を。大人になってから、やっと気づく人もいるかもしれないから・・・。

 

「かわいそう」も「がんばってね」も、

色々なとらえ方が出来きるし、

時に、この言葉自体のパワーに傷つくこともあるかもしれないけど、

もしかしたら、この言葉の後ろ側には、愛のこもった、一瞬の共感から生まれる、やさしい気持ちが含まれているのかもしれません。

 

捉え方は人、それぞれです。

今日も読んで下さった方、ありがとうございました!

 

おしまい。