こんにちは。
季節がすっかりと前に進み、突然半袖では外に出れなくなりましたね。10月も後半なので、このくらいの気候の方が普通なんでしょう♬
今日は、"かわいそう"という言葉について、書いていきます。
私は、小さい頃から、
「かわいそう」と「頑張ってね」という、
この2つの言葉が苦手です。
"かわいそう"
という言葉。これは、私の病気の話を知ったりだとか、普通の人と比べて何か出来ない事があったり、それを説明したりすると、時々言われる言葉です。言っている方は、きっと、悪気はないですよね。嫌味で「かわいそう」という人も、中にはいるでしょうけど・・・。
友人、親戚、家族。絶対に私を傷つける意図はないであろう人でも、「かわいそう」という言葉を使ってくる事があります。
私は、自分が言われるのは嫌だし、言われていい気分になった事はありません。
だから、私も、他人に直接「かわいそう」と言う事はしないですし、母などの身近な人が、何かの不幸を背負った子供に対して、「かわいそうね」などと言うと、
『勝手に人をかわいそうと決めつけないで。かわいそうと言う言葉からその子を救うような事は何も生まれないから!』
とイラっとしたり、します。
よく、母から言われました。
「私はかわいそうと思ったから、かわいそうと言っただけで、〇〇ちゃんが過敏になってて気にしすぎなのよ~。」と。
確かに、「かわいそう」という言葉について。
少し過敏になっていたとは思います。
でも、
心の中で思うのは自由だけど、それをわざわざ言葉に出す必要はないと、私は思うのです。
怪我をしてかわいそう。
おなかが痛くてかわいそう。
一時的な困難さに対して、「かわいそう」と言う言葉を使うのは良いと思います。
でも、その人が一生付き合っていく、永続的な問題や特徴に対して、「かわいそう」というのは、違和感かあるし、あまりいい気がしないんです。
それだと、じゃあ、病気を持ってる私は一生「かわいそう」なの?不幸なの?という気持ちになってしまうのですが、
そんな事ないですもんね。
「大変だけど幸せ。」
ってありますからね。
大変でも、幸せなら、「かわいそう」じゃないですもんね。
そんな感じで、「かわいそう」という言葉が、生理的に受け付けない私でしたが、この言葉に対して、少し歩み寄れたエピソードがあるのでご紹介します。
◯リハビリの学生時代のお話
リハビリの学生時代。理学療法学科は2クラスありました。私は、在学中に声帯の手術をしていたので、同じクラスの人達は何となく私の病気の事を知っていました。隣のクラスの人達は、顔見知りで雑談などする仲でも、あえて説明する機会もないので、私の病気の事は知りません。
ある日、
トイレで一緒になった、隣のクラスの女の子に話しかけられました。
友達「(胸元の手術跡を見て)〇〇〇、、その傷って手術したの?」
私『そうだよ。先天性の病気で何度か心臓の手術をしたんだ。』
友達は少し驚いた顔をして、
「かわいそう・・・。」 と。
いままでだったら、適当に受け流してその場を去っていたんだけど、一瞬考えて。
何を考えたかと言うと、この友達はそんな差別的な意図でこの言葉を使うような子じゃないって事や、話せばわかってくれそうだなって事や、あとは、これからリハビリの世界に進む仲間として、障害はかわいそうなことではないという事を知っておいて欲しいという気持ち。
そんな事が、一瞬の沈黙の間に頭の中を駆け巡って、
『病気はかわいそう、ではないよ。これがあるから、今、私はこの学校にいて、理学療法士を目指しているいるわけだし。』
と答えました。
すると、友達はほんの一瞬の沈黙の後、
「そうだね。かわいそうじゃないね!」
と照れ笑いのような笑顔を浮かべて私の顔を見てくれました。
優しい友達で良かった♡
これは、私が「かわいそう」と言われたけど、初めてその後にほっこりとした気持ちになれた、良い思い出のエピソードです。
「かわいそう」という言葉を使う人は、
もしかしたら、今まで他人から「かわいそう」と言われるような状況を経験していないだけで、悪気がない人も沢山いる。私への友情だったりそんな愛情があって、優しい心で言ってくれる「かわいそう」もあるんだな。
と、そんな事を学んだ出来事でした。
きっと、私の話す話を、私の立場になって、私目線で聞いてくれた時に、私の苦労した生い立ちに対して悲しんでくれたり、「大変だったね」とか、「私は今まで何も知らなくて・・・ごめんね。もっと力になりたかった」という気持ちだったり、私の人生の悲しみや苦しみを、その一瞬に自分の中に感じてくれて、それは"共感"という現象なんだと思うのですが、その切ないような、苦しいような、なんとも表現しきれない思いを、うまく説明する言葉がなく、
『かわいそう』
という一言が出る事もあるのかなと思います。
だから、私も、かわいそうと簡単に言う人達を、毛嫌いしないで、その一言の奥にある気持ちを想像して、私から歩み寄ってみることで、幸せな気持ちになれる事もあるんだなぁ。と感じました。
病気になった人にしか分からない気持ちはある。分かったような事を言わないでほしい。
でも、病気になった事がない人の気持ちもまた、分かったようになってはいけないし、歩み寄る事で生まれる関係性もあるんだなぁ。
と思いました。
長くなりました。
次回は、「頑張って」と言う言葉についての思い出を書いてみようと思います。
読んで下さった皆さん、ありがとうございました!
おしまい。