Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

おばあちゃんからの贈り物

こんにちは。

恋愛の話を書き終わってから、文章欲に少し燃え尽き気味の私ですが、

今日は、ゆるりとおばあちゃんとの思い出を書いてみます。

 

私のハンドルネームは、皆さんご存じのとおり、

sweet-peaです。日本語では、スイトピー。

実は、このスイトピーというハンドルネームは、数年前に亡くなったおばあちゃんからの贈り物です。

 

おばあちゃんは、ピアノとろざしと囲碁が趣味で、足腰が元気な頃は、囲碁教室に通い、色んなお仲間と囲碁をさしていました。わたしも少し習って、おばあちゃんとさしてみましたが、結局のところ、難しいルールは良く分からず、陣地とりのゲームという事くらいしか分かりませんでした。

 

だんだんと、足腰が弱り、外に出れなくなってしまったおばあちゃん。ある時から、パソコンを使って、オンラインで色々な人と囲碁の対戦をするようになりました。おばあちゃんの死後、色々な整理をしていて、オンライン囲碁の会員を解約しようと、おばあちゃんのパソコンを調べた時にみつけたハンドルネームが、

“スイトピー“ だったのです。

 

スイトピーの花言葉には、

「優しい思い出」「私を忘れないで」「門出」「別離」

そんな言葉があるんですって。

 

おばあちゃん、天国で元気にしてるかな。

お墓参りが苦手な私は、ほとんどお墓には行かないのですが、

私は、不思議と、今でもいつもおばあちゃんの事を身近に感じています。

私はいつも忘れてないよ。

いつも心の中に、おばあちゃんは、います。

 

小さい頃、一緒にお風呂に入った思い出。

私の体には手術の傷痕が沢山あって、おばあちゃんには、おっぱいが片方しかありません。

手術の傷痕は私の身体の個性だったし、片方の胸はおばあちゃんの個性で、

それが私の普通で、それがおばあちゃんの普通でした。

 

中学の手術で、綺麗な声を失ってしまった時。

その声が、良いとも悪いとも言わずに、励ます訳でも、同情する訳でもなく、

ただ静かにいつも通りそこにいてくれましたね。

“病気と共に生きる。”という事を、一番身近で理解してくれていた人は、

もしかしたら、おばちゃんだったのかもしれません。

 

高校に入り、ほんの半年だけおばあちゃんと2人暮らしをしました。

夕食後、30分ほどおばあちゃんと語り合ったのは、とてもよく覚えています。

「○っちゃんは、歳はこんなに離れてるけど、私が人生で一番尊敬する人じゃよ。」

って節目節目で言ってくれた、その言葉は、今でも私の支えです。

 

辛くなった時に、思い出すの。

そうすると、少し頑張れるの。

おばあちゃんが言ってくれたその言葉に、恥じないような生き方をしたいです。

 

晩年のおばあちゃんは、「○っちゃんの結婚式までは頑張って元気でいる」

って言ってくれていて。その言葉通り、私の結婚式が終わると、

みるみるうちに、衰えていって。

最後は、進行していく認知症への不安と闘っていましたね。

 

離れて暮らすようになっても、

度々私に電話をくれて頼ってくれた事。

嬉しかったです。

私はおばあちゃんの心の支えになれていたでしょうか。

 

「時間の感覚がどんどん失われていく。今こうして電話で話している事が、明日になると、

昨日の事なのか、1ヶ月前の事なのか、もっと昔の事なのか、分からなくなってしまうんだよ。」

 

と言っていたおばあちゃん。

初めて弱さとか不安な部分とか、おばあちゃんのそういう姿を見た気がします。

おばあちゃんにしか分からない、その感覚。

もしかしたら、いつか歳をとって、私にも分かるときが来るかもしれないね。

 

その時まで、おばあちゃんの言葉を支えに、私は私らしく歩んで行きます。

皆んなに助けてもらいながら。

おばあちゃんも、天国で元気で暮らしていて下さい。

いつか一緒に天国で囲碁が指せるように、少しは勉強しておきますね。

待っててね。

 

おしまい。