こんにちは。
恋愛の話を書き終わってから、文章欲に少し燃え尽き気味の私ですが、
今日は、ゆるりとおばあちゃんとの思い出を書いてみます。
私のハンドルネームは、皆さんご存じのとおり、
sweet-peaです。日本語では、スイトピー。
実は、このスイトピーというハンドルネームは、数年前に亡くなったおばあちゃんからの贈り物です。
おばあちゃんは、ピアノとろざしと囲碁が趣味で、足腰が元気な頃は、囲碁教室に通い、色んなお仲間と囲碁をさしていました。わたしも少し習って、おばあちゃんとさしてみましたが、結局のところ、難しいルールは良く分からず、陣地とりのゲームという事くらいしか分かりませんでした。
だんだんと、足腰が弱り、外に出れなくなってしまったおばあちゃん。ある時から、パソコンを使って、オンラインで色々な人と囲碁の対戦をするようになりました。おばあちゃんの死後、色々な整理をしていて、オンライン囲碁の会員を解約しようと、おばあちゃんのパソコンを調べた時にみつけたハンドルネームが、
“スイトピー“ だったのです。
スイトピーの花言葉には、
「優しい思い出」「私を忘れないで」「門出」「別離」
そんな言葉があるんですって。
おばあちゃん、天国で元気にしてるかな。
お墓参りが苦手な私は、ほとんどお墓には行かないのですが、
私は、不思議と、今でもいつもおばあちゃんの事を身近に感じています。
私はいつも忘れてないよ。
いつも心の中に、おばあちゃんは、います。
小さい頃、一緒にお風呂に入った思い出。
私の体には手術の傷痕が沢山あって、おばあちゃんには、おっぱいが片方しかありません。
手術の傷痕は私の身体の個性だったし、片方の胸はおばあちゃんの個性で、
それが私の普通で、それがおばあちゃんの普通でした。
中学の手術で、綺麗な声を失ってしまった時。
その声が、良いとも悪いとも言わずに、励ます訳でも、同情する訳でもなく、
ただ静かにいつも通りそこにいてくれましたね。
“病気と共に生きる。”という事を、一番身近で理解してくれていた人は、
もしかしたら、おばちゃんだったのかもしれません。
高校に入り、ほんの半年だけおばあちゃんと2人暮らしをしました。
夕食後、30分ほどおばあちゃんと語り合ったのは、とてもよく覚えています。
「○っちゃんは、歳はこんなに離れてるけど、私が人生で一番尊敬する人じゃよ。」
って節目節目で言ってくれた、その言葉は、今でも私の支えです。
辛くなった時に、思い出すの。
そうすると、少し頑張れるの。
おばあちゃんが言ってくれたその言葉に、恥じないような生き方をしたいです。
晩年のおばあちゃんは、「○っちゃんの結婚式までは頑張って元気でいる」
って言ってくれていて。その言葉通り、私の結婚式が終わると、
みるみるうちに、衰えていって。
最後は、進行していく認知症への不安と闘っていましたね。
離れて暮らすようになっても、
度々私に電話をくれて頼ってくれた事。
嬉しかったです。
私はおばあちゃんの心の支えになれていたでしょうか。
「時間の感覚がどんどん失われていく。今こうして電話で話している事が、明日になると、
昨日の事なのか、1ヶ月前の事なのか、もっと昔の事なのか、分からなくなってしまうんだよ。」
と言っていたおばあちゃん。
初めて弱さとか不安な部分とか、おばあちゃんのそういう姿を見た気がします。
おばあちゃんにしか分からない、その感覚。
もしかしたら、いつか歳をとって、私にも分かるときが来るかもしれないね。
その時まで、おばあちゃんの言葉を支えに、私は私らしく歩んで行きます。
皆んなに助けてもらいながら。
おばあちゃんも、天国で元気で暮らしていて下さい。
いつか一緒に天国で囲碁が指せるように、少しは勉強しておきますね。
待っててね。
おしまい。