こんにちは。
今、外で咳き込むのはちょっとした重罪になりかねないので、
(ちょっと大袈裟に言っています。)
咳が前面に出てしまう私の喘息は、ちょっとつらいのです。
嫌、これしきの事でつらいなんて言っちゃいけないか・・・。
薬を飲んでいるので、四六時中咳こむ訳ではないのですが、
一度出始めると数十秒はとまりません。
この時期に、咳き込む人が家にきたら嫌だろうし。
職場の上司と相談して、自宅待機です。
と言う事で、ブログのつづきを書きたいと思います。
『私と精神科』
前回11月、12月に書いたのが最後でしたね。
11月に書いた記事で、精神科クリニックの先生に、毎週30分これまでの出来事やその時の感情を話す事で、これまで心の中で無造作に散らかっていた過去の思い出が、整理されてきた。という所まで書きました。そして、
「さて、ここからどうするか・・。」
という文章で前回のブログを締めくくっていたと思います。
今日は、そこからどうしたのか。
というお話を書いていきたいと思います。
結論から書きますと、12月より診察に加え、
心理士さんの『カウンセリング』を始めました。
先生と一緒に自分の過去と向き合って来た約1年弱。
今まで時々不安定になっていた、眠れぬ夜の不安の正体が、なんとなく分かってきたし、この1年で心もだいぶ落ち着いてきたと思います。
でも、心の問題って、難しくて。
多分、「この時点で治りました!!」っていうのがはっきりと分かる訳ではなく、
少しずつ少しずつ何かが変わっていって、
気づいたらなんだか少し楽になっている。
生きやすくなっている。
そんな感じで、カコの思いが癒えていくのかなと、
そんな風に思います。
よくよく考えれば30年抱えていたもの。
たった半年、1年ですっきり解決するわけはなく、
今目の前の生活を送りながら、
焦らず継続して自分の心と向き合っていって、
だんだんと自分を知って、
少しずつ心が成熟していくのでしょうか。
先生から、カウンセリングを勧められる前に、
"ワークスルー"という言葉を教えてもらいました。
日本語では"徹底操作"と言うらしいです。
ちょっと難しい言葉です。
普通、家族や友人とのたわいもない会話であれば、
同じ話を何度もしたら、「その話、前にも聞いたよ。」
と言われてしまいます。
でも、精神・心理の世界では、過去の出来事、
トラウマとなっているような思い出、というのは、何度も何度も、同じ人に同じ話をしてもいいんですって。回数を重ねて話すうちに、そこに新たな感情がのって来たり、忘れていた記憶が蘇ってきたり、今につながる部分を発見できたり、何度も話す事で気づける事って、あるのかもしれません。
ワークスルー(徹底操作)ってそういう事なのかなぁ。
私の心理の知識は、学生の時に、臨床心理学や精神医学などの授業でならった概論レベルでしかないので、正解は分かりません。今、2か月ほどカウンセリングをしてみて、私が思う、私の場合のワークスルーとは、
何度も、何度も、話す事で、
「自分はどんな人生を歩んできたのかな」って確認して、
「その時どんな思いや感情を感じていたのかな?」って思い出して、
「それに対して、当時の私はどんな対処をしていたのかな?」って、思い出しながら考えて、そうるすと自然に、今につながっている部分に気づき始めたりして。
聞き手がいて、その人に話す事で、はじめて気づく事もありました。
例えば、ある話題を話し終わった後に、その帰り道や帰宅後、嫌な気持ちを引きずる事がある。そんな時は、その話題が結構心にひっかかっている事だったんだなと改めて気づくし、その感想も含めて、その話を、さらに何回も話していくと、同じ様に話し終わった後、スッキリと良い気持ちになる事もある。
そうやって、聞き手が居る事で、自分の心の変化を感じる事が出来る。
ワークスルーって、そんな作業を、
自分が心の底から納得するまで、
なんだったら話飽きちゃうくらいまで、やる事なのかなと思います。
辛い過去も悲しかった出来事も、
自分の心の中にストンとおちる時まで。
いつでも自由に手に取れるようなカコの思い出になっていくまで。
心の中のモヤモヤがとれて、何だかスッと澄みわたるまで。
そんな感覚的な変化が静かにおとずれる事を願い、話し続けるのかもしれません。
「今の私ってこうやって出来てるのね!」
と、笑って言えるようになれば、
今のこの時間が、これから先の長い人生において、
とっても貴重で大切な時間になるのだと思います。
大殺界2年目。
今は根を広げる時期。
芽が出て花開くときまで、
焦るべからず。
※ 現在進行形で向き合っている心の問題について、こうして近況を伝える事で、過去の思い出に悩む誰かの参考になればいいな・・と思って、書いています♬ 自分の弱さをさらけ出すようでちょっと恥ずかしいんだけど。まぁいっか!
つづく。