Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

手術の傷跡②~小学生・中学生編~

前回からのつづきです。

 

 手術の傷跡について、過去を振り返ってみます。

 

傷跡についての思い出なので、

読んでいていい気分になるような感動的な話じゃないし、

どちらかというと、苦労話になってしまうかもしれません。

でも、それを経て、今の考え(前回の記事参照)に至っているので、

その通過点だと思って、読んで下さると嬉しいです。

そして、あぁ、本人はこんなところで悩むのか。

という部分を少しでもお伝えできればと思います。

 

出来るだけ、楽しく書きますね!

 

小学生時代~お風呂屋さんとイチゴ牛乳と私~

 

 小学生の頃は、手術の傷痕なんて、全く気にしてませんでした。

鈍感だったのかな。でも、赤ちゃんの時の手術痕なので、薄くなっていたし、

細くて、比較的綺麗で、目立たなかったと思います。

授業のプールも、スクール水着だしほとんど傷は隠れるので、

ちっとも気にしていなかったです。

背中の傷は見えていたかもしれないけれど、自分では見えないので、

私自身が傷の存在にあまり気づいていませんでした。

 

お風呂だって、誰とでも入れました。

兄弟、おばあちゃん、友達。

父がお風呂好きだったので、母と私を連れて、

時々お風呂屋さんにも連れて行ってくれました。

お風呂上がりに、父と合流し、休憩所でいちごのビン牛乳を飲む。

これが、いつもの定番でした。

高校時代も、自販機でパックのいちご牛乳ばかり買って飲んでいたのは、

いちご牛乳の味と、この頃の懐かしの思い出がセットで大好きなのかもしれません。

 

この頃、父方のおばあちゃんも一緒に住んでいたので、

おばあちゃんと入るお風呂の思い出も覚えています。

 

おばあちゃんは、乳がんで片方の胸を全摘して、おっぱいが片方しかありません。

でも、子供って大人より固定概念みたいなものがないので、

おっぱいが1つのおばあちゃんが私の中で普通でした。

だから、自分の手術痕も私の普通で、何も気にしていませんでした。

おばあちゃんと居るのはとても心地よかったです。

声が出なくなった後も、何を言うでもなく、いつも通り隣にいてくれました。

 

おばあちゃんは、いつも、

「私の一番尊敬する人は◯っちゃんだよ。」

と言ってくれました。

 

いつだったか、高校の友達が遊びに来た時も、その友達に同じ事を言っていました。

 

私が結婚する頃には、だいぶ弱ってきて、

頭の回転も穏やかになっていましたが、

最後まで、「◯っちゃんを尊敬している。」

と言ってくれました。

 

私の身近な人で、病気と共に生きる。という気持ちを1番分かってくれていたのは、

もしかしたらおばあちゃんだったのかな。

 

おばあちゃん、天国でこのブログ見てる?

私もおばあちゃんを尊敬していたよ。

 

話を戻して、

 

この時、私の身体には

 

身体の真ん中に縦一本走る傷跡と

胸の下辺りにある左右のドレーンの痕

左の肩甲骨の内側から肩甲骨の縁を沿うように脇にかけて走る傷痕

右の鼠径部(足の付け根)の傷跡

 

3つの手術痕がありました。

 

先ほども言った通り、私は、この頃ほとんど傷跡を意識せず過ごせていました。

もしかしたら、今のお子さん達の方がませている気がするので、

早い時期から気にする子もいるかもしれません。

 

でも、昔より、手術痕をなるべく短く綺麗になるよう、

先生たちも努力してくれています。

『将来Vネックが着れるくらいの高さから切ります。』

なんて説明してくれる先生もいるそうで、

 

本人にしか分からないであろう、

"日常のささやかだけど大きな制限"に、

徐々に先生や看護師さんたちも目を向けて気づき始めています。

 

私の時より、はるかに。

少しずつ良くなっていることに感動します。

 

いつも生理な中学生時代

 

 そして、中学1年でうけた再手術により、

胸の傷が長く太くなり、ドレーンの痕が増え、

右の下腹部にも人差し指1本分くらいの傷跡が出来ました。

 

やはり、小学生まで見慣れていたはずの傷が、くっきりと、生々しくなる事で、

中学から高校あたりの思春期は、手術の傷痕に悩んだ時期でした。

父とのお風呂屋さんも術後はパッタリと行かなくなりました。

 

病院を退院してしばらくは、

バストバンドという、コルセットの胸バージョンみたいな物をつける必要がありました。開胸手術では、胸骨(胸の真ん中にあるかたい部分)を半分に切って肋骨を左右に開くので、骨折状態の胸骨がくっつくまで、固定の為につけます。

さらしを胸に巻いているような感覚です。夏だったので少し暑苦しかったです。

 

余談ですが・・・、

胸があまり大きくならなかったのは、

開胸手術と、成長期につけていたこのバンドでのせいに違いない!

といままで思っていました。

が、、、

"先天性心疾患の大人、胸の小ささを手術のせいにしがち"

というあるあるを耳にして、

ある方がとったアンケートによると、

同じように手術を受けた人の中にはふつうに大きい人も沢山いるらしいです。

(そうか~。違ったか~、ただ小さいだけだったのか~、いいなぁ~笑。)

なので、思春期の皆さん、暑苦しいかもしれないけど、安心してしっかりとバンドはつけましょう。

 

話をもどします! 

このバストバンド、制服のブラウスや白いTシャツだと透けて見えるんです。

普段は学校指定のベストがあるので分からないのですが、

体育の授業の前の着替え時、沢山の女子に囲まれて、

「えー、これ何??」

「かわいそう。大変だね。」

と矢継ぎ早に質問責めにあったのを覚えています。

囲み取材さながらでした笑。

しかも、声が出せないので、咄嗟に上手く説明できないし、

愛想笑いをして切り抜けた気がします。

なんだか、その映像は、はっきりと今でも思い出せます。

 

バストバンドも、真っ白じゃなくて、

ベージュとか、洋服から透け難い色があればいいのに。

下着も、白とかは透けますもんね。

 

またまた、話をもどして、

 

1つ良かったのは、

私の中学校の制服は、丸襟のブラウスでした。

丸襟なので、皆第1ボタンまでしっかりと閉めます。

そうすると、鎖骨の上あたりまである傷も、すっぽりと隠れてしまうので、

周りの目を気にすることなく、過ごせていました。

(Yシャツで過ごした高校生時代の工夫はまた次回。)

 

あと、中学生の頃で覚えているのは、

 

修学旅行のお風呂問題かな。

 

大浴場みたいなのがあって、皆んなで一斉に入るのですが、

たとえ女子同士であろうとも、人前で裸になるなんてそんなの絶対無理でした。

でも、そこは女子である事を利用して、

「私、生理だから」

と嘘をついて入らなかった思い出があります。

 

この時から、20歳くらいまでまで、皆んなでお泊まりの時、私は必ず生理です笑。

 

でも、そういうのって、多少なりとも嘘をついている罪悪感があるし、

1人で待っている時のなんとも言えないむなしさがあったり、

皆を羨む気持ちが出てきたり、

心の健康としては、あまりいい事ありません。

でも、無理をして入る必要は全くないです。

 

今の私が、あの頃の私の側にいたら、

 

『信頼できる女性の先生にだけ、事前に、理由を話しておけば?』

 

と声をかけるかな。

 

入りたくないなら無理して入る必要は全然ない。

それは逃げではないし、

仮に、逃げだと言われたとしたら、今のあなたに必要な逃げだから大丈夫。

理由だって、周りの同級生に無理をして話すは必要ない。

話そうと思った時に、この人には知ってもらいたいと思えた時に、

自然に話せる時がくるから。

 

でも、当日に本人1人で対処するのは面倒だし、

余計なところでハラハラ緊張するし、皆と同じように旅行を楽しんでほしい。

だから、事前に担任でも、他の女性教員でも、

1人だけにでも本当の事情話しておいて、当日さりげなくフォローしてもらえたら。

きっと1人で抱えこむより、安心して旅行を楽しめると思います。

当日どういう流れにするのか、作戦会議をして、こちらから言いださなくても、

安心して入らないでいれる段取りにする事も可能です。

 皆が入った後なり、寝る前などに、こっそりシャワーだけ浴びさせてもらうとか。

そういう配慮だって出来るかもしれません。

 

当時の私はそこまで、思いつきませんでした。

ただただ、一人で先生やクラスメイトに、

"今私生理なの"という芝居をしていました。

 

全部知っていてくれている味方の大人がいる。

というのは大事だし、大人を頼らなくちゃね。

 

と、今は思います。もちろん、周りに信頼できる仲間がいれば、

堂々と、「ちょっと手術の痕があるからさ。後で1人で入ってもいい?」

と言ってもいいです。

 

私がそのセリフを言えるくらいになったのは、

もう少し、いや、だいぶ後でしたので、焦らずに。

 

 

 

つづく。