親離れと子離れ
前回からのつづきです。
次の日の朝、
『おはよー』
と普通に話しかけてくる母。日常会話はもちろん、テレビの感想やくだらない雑談など、まるで何事もなかったようにいつも通りの母でした。
しかし、私が一言でも、
「昨日の話なんだけどさ・・」
と言おうものなら、一瞬にして表情が凍り付き、その後みるみる鬼のような顔になり、頑としてこの話合いにのってくれようとしませんでした。
実は、それまでも、私だけ祖母の家に住む時期があったり(家庭の諸事情により)、数か月ですが、静岡に1人暮らしをしたり(病院実習の為)、母と離れて暮らす経験は何度かありました。母は、私が実家を出る事。結婚ではなく同棲する事。この2点に関しては、反対していなかったようです。
ただ、遠くに引っ越すという事だけが猛烈に受け入れられなかった。
母の手の中から、完全に私が居なくなってしまう。
母が管理できないところに行ってしまう。
もししたら、このまま結婚して一生その地域に住んでいくかもしれない。
しかも震災直後に、わざわざ海側に近づくなんて・・・。
という思いがあったのではないかなと思います。
『家の近くに〇〇君と住めばいいじゃない。それ以外は許しません。』
母からの言葉はこの一言のみでした。
そしてまた、いつも通りの母になって、私がその話題を出すと、表情が一変して・・・、その繰り返しで1~2週間ほどが過ぎていきました。
私はこの頃、追い詰められながらも、
『周りからみる私や、こうあるべき私 ではなく、自分自身として生きていく為にも、母から自立する為にも、辛くてもここを乗り越えなくては。』と思っていました。でも、わりとギリギリで、夜みんなが寝たあと、不安で押しつぶされそうだったのを覚えています。
母の気持ちも分かる。
でも、私の話ももっとちゃんと聞いてほしいし、歩み寄ってほしい。
どうするのが一番良いのか、沢山たくさん考えました。
母を傷つけたくはない。でも、近くに住んでしまったら何も変わらない。
自立して自分の人生を歩んでいきたい。
そして私は、色々考えた結果、
「最終的に母の同意が得られなくても、自分で家を出ていこう」
と決意しました。頑固なのは母ゆずりなのかもしれません笑。
それは、母を見捨てるとか、裏切る。という事ではなく、
心から幸せに生活している事が、母への一番の親孝行だと思ったから。
離れたところでも、自立して、仕事をしながら、好きな人と幸せに生活している姿をみせれば、母もいつか分かってくれて、
『良かったね。安心した。』
と言ってくれる日が来る。今それが難しいのは、それだけ、私の命を大切に育ててくれたから。そんな母を信じて、これで一時的に関係が壊れたとしても、心から幸せになれると思う道を進もう。
と、そう思いました。
つづく