Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

今の私

こんにちは。

前回のつづきです。

 

少し振り返ると、

元々、仕事と家事、育児の疲労が蓄積していたところに、ある出来事が起こり、心身のバランスを崩し、少しお仕事を休ませてもらう事になりました。最初は、その出来事について悩み、次に、復職後に仕事と子育てを両立出来るか、という所で悩み、最終的には、1人なると過去の大変だったエピソードが次々と思い出され、苦しくなった。

 

という流れでした。

 

休職するきっかけとなった出来事については、わりとすぐに解決したのに、それとは全く関係のない、過去のエピソードにとらわれて、その時苦しかった、本当は辛かった、わかってほしい。という感情が、近くにいる存在の夫に向かっていきました。

私は、最初、これを良くない事。

自分が悲劇のヒロインぶって、こんなに大変だったよアピールをするなんて、子供じみている。と思っていました。

 

でも、私の主治医は、今回のこの一連の事を、

良かった事なんだよ。

と言ってくれました。昔抑圧してしまった感情は、事あるごとに、表に出てくる。でも、そうやって、少しずつ発散させていくことが、昔の気持ちを少しずつ軽くしていく。

 

と言ってくれました。

 

そこから、週1回、通院し、先生に昔の事を思い出すままに聞いてもらっています。

 

それが、今の私です。

 

でも、当たり前ですが、今まで書いてきた事も私が本当に感じで来たことです。

 

過去の色々な出来事、そのものに関しては、これまでも書いてきましたが、1つ1つが糧となり今の自分にプラスになって繋がっていると思います。

 

病気になんてならなければ良かったか?

と聞かれたら、

いや…。と回答に戸惑うと思います。

 

確かに、体力のある身体で、手術の跡のないキレイな身体で、生まれた時のままの声を無意識に出せる声帯に戻れたら、それは魅力的です。憧れます。

 

でも、それは、もう私でないのです。

 

大変だった事も、無理して忘れる必要はなくて、全部含めて今の自分になっている。

(これは友達に言ってもらった言葉の引用です。友達、ありがとう!)

 

のだと思います。

 

ただ、過去の出来事自体は、今の自分を形成してくれた事、という理解があるのですが、

 

過去の感情を置き去りにしてしまった。

 

過去の感情とは、

辛いときに泣かなかった。つらいと言わなかった。痛いと言わなかった。しっかりしていなきゃと思った。弱音を吐くのは、支えてくれている家族や、周りの大人に失礼だと思っていた。大人に頼ろうとしなかった。

こんな感じかな。

 

もし、今の私が、

あの頃の私のそばにいたら、

 

点滴って痛いの?

そっかー、痛いんだね。

 

とか、

 

息苦しいの?

そっか、嫌になっちゃうよね。なんで自分だけって思っちゃうよね。

 

大丈夫。未来はどうとでもなる。

けど、今はつらいよねー。泣いてもいいよ。

 

って、言ってあげるかな。

 

ただ、そういう感情を抑圧する事で、自分を保っていたという側面もあると思います。

 

あの時に、全て出してしまってたら、もしかしたら日常がストップしてしまっていたかもしれない。私なりの、心が折れてしまわないような防衛だったのかもしれない。

 

とも思います。

 

何を言いたいのか、話がまとまらなくなってしまっていますが、あえて、きれいにまとめなくてもいいですか笑?

 

これを読んで、それぞれで何かを感じて頂ければ、とても嬉しく思います。

 

絶対にこうした方がいい。という正解は人生にはありません。だから、その時その時、目の前にある事を1つ1つ頑張ったり、時々休んだり、弱音を吐いたり、そうやって進んで行って、どこかでほつれが出てしまったら、その時周りに頼りながら、ほつれた部分を治していけば良いのかなと思います。

 

ちなみに、連休前から仕事は少しずつ復帰していて、連休後から本格的に復職です。

キツくなったら、弱音を吐きます❤︎

無理しない程度に頑張るとう、一番難しい事に挑戦してみます笑。

そしてまた、何か感じたり、気づいたりした事があったら、ここで書かせて下さい。

 

人生その繰り返し。

 

ですものね!

 

読んで下さってありがとうございます。