Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

過保護と必要保護⑨〜中学再編その3〜

今日は、病院を退院してからの、学校生活を振り返って行きます。

 

◯ 携帯電話

 

退院してまもなく、母に携帯電話を買ってもらいました。

具合が悪くなった時、学校から帰る坂道を登るのがしんどい時、いつでも母に連絡が取れるように。

当時の校則では、学校に携帯電話持ち込み不可だったので、学校では鞄から出さない約束です。

また、手術の合併症で、小さい声しか出せない私を心配して、ホイッスルみたいなものも、待たされていました。私は、恥ずかしいから要らないよと言ったのですが、地震が来て瓦礫にうもれた時や、変質者遭遇した時に、必要になる。と力説されました。

⇨当時は、心配しすぎ〜と思っていましたが、母の立場で考えると、自分の目の届かない所で何かあったら心配だし、私と連絡が取れるという事で、母自身もまた、安心感を持って子供を見送れたのかなと思います。でも、早くから、携帯電話を持てたのは、嬉しいし、ラッキー!とも思っていました。

当時は、中学1年生で携帯を持っている子はクラスで片手で数えるくらいだった思います。

 

 

◯通学路

 

  私の家は学区の端っこであった為、中学までは歩いて30分ほど。行きも帰りも長めの坂道がありました。朝は、車で学校の近くまで送ってもらい、帰りは、半分くらい歩いて、最後の上り坂の手前で、母に電話をして、車で迎えに来てもらっていました。

母に車で送ってもらっている、という事は、当時の私には恥ずかしく、わざと遠回りをしてもらい、皆が通らない道を迂回し、学校の裏あたりで降ろしてもらっていました。クラスメイトとすれ違うのをとても嫌がっていたのを覚えています。

 それでも、毎朝送ってもらっていると、やはり気づく人はいて、◯◯ちゃんって毎日車で来るの〜とわざと大きな声で言ってくる人もいました。今思うと、『手術した後だから体力が無くて送り迎えしてもらってるの。』と堂々と言えば良かったですね。

でも、当時はそれが出来ず、焦りながらも、適当に理由をつけてごまかしていた様に思います。

 

 

吹奏楽

 

  入院前、私は吹奏楽部に入部していました。病院を退院する際、先生にその事を話すと、

『ん〜ちょっとしんどいと思うし上手く音出ないと思うし、無理しないでやめた方がいいかもねー。』

と言われました。

でも、元々音楽が好きでしたし、運動が出来ない私が熱中出来る大切な場所だったし、それをとったら、何が楽しくて学校に行くのか。という思いと、負けず嫌い精神に火がついて、先生に言われた瞬間から辞める気などさらさらありませんでした。

幸い、私の担当はサックスという木管楽器で、トランペット、トロンボーン、ホルンなどの金管楽器と比べたら肺活量は少なくても音がでる楽器です。やってみて、無理だったら、パーカッション(打楽器)に変わればいいやくらいに思って、時期を見て少しずつ部活にも参加していきました。

母も、それを止める事なく見守ってくれました。

吹奏楽部の思い出は色々あって、ここには全部書ききれません。いつか、他の記事で書いてみようかな。結果的に続けて良かったですし、3年間サックスを吹き続ける事が出来ました。私が、続けようと思ったのと、母がそれを止めなかったのは、先生のやめた方がいい。というアドバイスは、

〝医学的な所見から、楽器を吹く事が心臓に負担になる〟

という事ではなく、

〝体力も肺活量も無い中、続けるのは本人の負担になるし、肺活量が無いから思うように上達出来ないかもしれない。だったら、わざわざ可哀想な思いをさせなくても・・〟

というニュアンスだったと思います。

それならば、やっても良いって事だよね・・と判断した次第です。

 

その場で、私の音楽に対する熱意を先生に説明していたら、もしかしたら、意見が覆っていたかもしれません。なので、皆さんは、個人判断せずに、納得いくまで先生と話し合って下さいね。(私がやっていなかったのになんですが。)

 

◯体力テストの長距離走

 

学生の頃は、体力テストってありましたよね。私は運動オンチだったので大抵皆の記録に勝てないので大嫌いでした笑。

私の運動制限は、長距離がNGだったので、持久走と、シャトルランのみ不参加でした。私の中学では、体力テストの日が行事として特別に設けてありましたが、持久走は普通の体育の授業中で行っていました。

 

中学3年生の、持久走の記録をとる授業の時です。

いつもならば、自分からさらーっと抜けて、見学をしているのですが、

その時ふと、『短距離では誰にも勝てないけど、案外長距離だったら勝てたりして・・』

という思いが浮かんで来ました。

長距離では、メンタル面も大きく影響する気がしたし、

忍耐強さや、我慢強さ、みたいなものだったら、誰にも負けないと思っていました笑。

距離は、1000m。トラック1周が200mなので、トラック5周。

以前も書きましたが、体育の授業の準備運動などで、3周は走った事があったので、

プラス2周くらいなら・・とか、中学最後の体力テストだし。とか、色々理由をつけて、結局、しれーーっと皆の中に混ざって、スタートラインに立ちました。

 

スタートの合図の笛が鳴って、いっせいに走り出しました。先に走った男子達は見学です。長距離なんて初めてなので、ペースが分からず、どちらかというと、先頭集団に近い位置で走っていました。1周走り終わる所で、1人の男子が『○○ー、飛ばし過ぎるな、ペースを考えろーー!!』と声をかけてくれました。声をかけてくれたのは、小学校6年間同じクラスだった男子で、手術する前の私 (まだ元気な声が出せていて、活発で、病弱なイメージでは無かった頃の私 ) を知る数少ない男子で、私の初恋の人でもありました。6年間ずっと好きで、告白しないまま、中学に入ってすぐ入院して、退院したら、私の友達が彼の彼女になっていて、あっさり失恋したという甘酸っぱい思い出です笑。

なので、その声援がとても嬉しかったのを覚えています。

中学から一緒になった多くの人達は、“手術して、病弱で、声もほとんどでない、私”しか知らないので、私の本来の性質?性格?を覚えていてくれたような気がして、嬉しかったのです。

そんなこんなで、徐々に順位は落ちていきましたが、半分よりほんのちょっとだけ上くらいの順位でゴールをする事が出来ました。短距離では間違いなくビリの私からしたら快挙です。

走り終わったあとは、心臓バクバク、息はゼーゼー笑。2度とやらなくていいやと思いました。

 

⇨ 親の知らない所で、自分で判断して、無茶?をする事もある。というお話でした。

特に中学〜高校くらいの時期は、半分子供で半分大人。自立心も出てきて、このような事は少し多くなってくる時期かもしれません。命に関わるような、絶対にやってはいけない事があれば、しっかりと子供確認しておいた方がいいかもしれません。それ以外の所は、少し大目に見てあげてほしいな・・と思います。