私の病気が分かり、母が主治医の先生から言われた言葉をご紹介します。
「この子は保護が必要な子です。それは、甘やかしや、過保護ではなく、
必要保護です」
過保護と必要保護。過剰すぎる保護と必要な保護。
小さい頃から病気の子は過保護に育てられてわがままな子が多いよね。と、どこかで誰かが言っていました。確かに、そういう人もいるかもしれません。けれど、病気がなくても、わがままな子もいれば、そうでない子もいる。ただ、それだけの事。そして、もう一つ言えば、わがままも一つの個性。それで、離れてしまう壊れてしまう人間関係もあるかもしれないけど、わがままだけど自分に素直に幸せに暮らしている人 とか、わがままだけど憎めない人。とか、、私の周りにもいます。
何が言いたいかというと、個人のパーソナリティーに対して、勝手にその原因を分析したり、他人がとやかく言うのは筋違い。なんじゃないかな。大人になったら、全部自分の責任。自分の性格が、自分に降りかかってきて、悩んだりして、自分が変わりたいと思ったら、変わればいい。そのままの自分でいても、それでいい。そう思います。
少し、題名と話しがそれました。
とは、言いつつ、親としては、日々子育てに悩み、出来るだけ幸せな人生を歩めるような子に育ってほしい と思います。自分の子育てが、過保護すぎやしなしか、厳しすぎやしないか。私自身も悩みます。子育てに答えはないから、余計に。でも、どんな希望を持っていても、親の思い通りに育つ子はいないので、あまり重荷に思わず、今子供の為にしたい事をしてあげていればいいのかな、とも思います。
あとは、子供自身が自ら成長する力を信じて・・・
でも、「必要保護」って良い言葉だと思います。
病気を持つ子供は、大人になるまでは、その身体と命を守ってあげなくてはいけない。
これは、過保護ではなく、必要保護なんですね。すごくしっくりくる言葉です。
でも、病気や発達障害など、個性を持っている子供を育てるにあたって、過保護と必要保護の線引きって、とても悩むし、難しい問題だと思います。特に、成長するにつれ、その線引きは難しくなってくるのではないでしょうか。子供は成長していけば、自らの意思を持ち、好奇心や、探求心や、いろいろな思いで外にむかって飛び出していきます。でも、たくさんの人に支えられ、救われた命、普通の子以上に、大切に大切に育んできたであろう命が、新しい世界に、親の手を振り切って走り出そうとする時に、背中をおしてあげるのは、そうとうな勇気がいると思います。
そもそも、どこまでが必要な保護で、どこからが過保護かの線なんて目に見えないし。
そして、年齢を重ねるにつれ、本人自身も、
どこまでが(病気に対する)甘えで、
どこからが(病気を理由に)自分に優しくしてもいい事なのか。
という事で悩むと思います。
先天性心疾患の人は、小さい頃からその身体が当然なので、健康な状態が分からない。疲れやすいのは、ただ私のガッツがないから?それとも、体の体質的な問題?
どこまで病気を理由にしていいのか、これは必要な休息なのか、
私も未だに悩みます。
まずは、自分自身の事を振り返って、私の場合はどうだったのか、
書いていきたいと思います。そして、私が母になって思う事。
そんなことを書いていって、最後に何か感じる事があればいいなと思います。
今回は、思いのたけが強すぎてまとまらない(笑)。
読みにくくて申し訳ないです。
みなさまのお力で、どうぞかみ砕いて読んで下さい。
つづく