Sweet-pea’s diaryー大人になった先天性心疾患のブログー

大人になった先天性心疾患を持つ私が、あの頃(16~20歳頃)見つけたかったブログを書いています。どなたかの参考になりますように。PC版カテゴリのはじめにからご覧ください♬

あのころの私に捧ぐ

私がなぜブログを始めたのかについて、少しお話します。

 

一言で言うと、あの頃の私に向けて、書いています。

 

あの頃の私は、同じ境遇の人に会いたかった。話を聞きたかった。それは、自分が周りの人とは違う身体だと認識しはじめた頃、10代後半から20代くらいの頃でしょうか。

 

きっかけは、中学1年生の夏にうけた再手術です。それまでは、自分の身体の傷跡も、病院に定期的に通うことも、運動制限があることも、当たり前のこととして、何の疑問ももたず、過ごしていたと思います。

 

 当時中学生だった私は、夏休みを利用して、1週間の予定で病院に入院しました。0歳の頃に入れた人工血管の再狭窄の治療の為です。しかし、当初の予定だった、カテーテルでの治療が上手くいかず、その後に受けた手術も失敗。最終的には、人工心肺を用いた胸骨正中切開による人工血管再置換術。という大きな手術となりました。

 

退院する頃には、夏休みも終わり、季節は秋にさしかかろうとしていました。ここから、私の人生は、今までの当たり前の人生から、180度大きく変わります。まず、手術の傷。もともと胸の真ん中に手術の跡はありましたが、それがもっともっと長く(鎖骨の上あたりまで)、そしてくっきりと身体の真ん中に刻まれました。そして、何より大きかったのが、手術の合併症で左の反回神経(声帯の筋肉を動かす神経で、声を出したり、食べ物飲み物を飲み込む際にはたらく神経)を失った事です。これにより、今まで当たり前に行っていた、声を出す、会話をする、飲み物を飲む、食べ物を飲み込む、といった事が当たり前ではなくなりました。

 

病気を治すために入院したのに。

健康になるために入院したのに。

確かに、心臓の状態は健康に近づいたかもしれない。

でも、この感じはなんだろう。

当たり前の事が、ある日突然、当たり前に出来なくなってしまう感覚。

声を出すのが難しい感覚。

身体の真ん中に傷があるという感覚。

外からみて明らかな障害ではないが1日学校生活を送るのも大変なくらい体力がないという感覚。

 

書き出したら、きりがないけど、、

とにかく、本人にしかわからないこの感覚。。というものがありました。

のちに、QOL(クオリティ オブ ライフ:生活の質)という言葉を知り、あぁ、私は当時手術によって心臓はよくなったけど、QOLが大きく低下したんだなと思いました。

 

ここで、問題だったのは、心臓の治療、手術に対しては専門家による熱心なフォローがあったけれども、退院後は、学校という社会に馴染んでいくにあたって、専門家や学校の特別なフォローがなかった事。であると思います。

 

親のさじかげんと、本人の感覚で、徐々に登校時間を延ばし、授業や行事も周りの人と同じ様に参加しました。声が出ないから、音楽の歌のテストが嫌だった事、授業中に当てられて声を出さなきゃいけなかった事、ある先生には何かあったら大変だから体育は見学しなさいと言われ、あまりやらせてもらえず、ある先生からは、マラソン大会の練習をなんで見学してるんだ。サボりなんじゃないのか。1周でもできる範囲でやろうとは思わないのか。と言われ。。(頑張ったら頑張ったで注意され、頑張らなければ甘えている怠けていると言われる状態)

 

誰も、どのように日常生活に戻っていけば良いのか教えてはくれなかった。

 

そして私は徐々に、他に同じような境遇の人はいないのか、いたらどうやって過ごしているのだろうか。と思うようになりました。

 

今のように、SNSがない時代。ネットで検索しても、病気に対する一般的な知識や、親の会なるものは見つかりますが、本人の会は見つかりません。

 

なった人にしか分からない事や、同じような人がどのように生活しているのか、、、知りたかった。

 

まとまりが無くなってきてしまいました…。

すみません。まとめてみます。

 

このブログは、、、

あの頃の私が、見つけたかったブログを、今の自分が書いています。

あの頃、してもらいたかった事を書いています。

 

人それぞれ、病気の種類も違うし、同じだとしても状況は十人十色。私が書いている事が、大人になった先天性心疾患の方全てが思っている事ではありません。

でも、こんな一例もある。。。

と思って頂ければ…と思います。そして、先天性心疾患の方を支える全ての方へ。なにかの参考になれば、これほど嬉しいことはありません。