こんにちは。
前回のつづきです。
少し振り返ると、
元々、仕事と家事、育児の疲労が蓄積していたところに、ある出来事が起こり、心身のバランスを崩し、少しお仕事を休ませてもらう事になりました。最初は、その出来事について悩み、次に、復職後に仕事と子育てを両立出来るか、という所で悩み、最終的には、1人なると過去の大変だったエピソードが次々と思い出され、苦しくなった。
という流れでした。
休職するきっかけとなった出来事については、わりとすぐに解決したのに、それとは全く関係のない、過去のエピソードにとらわれて、その時苦しかった、本当は辛かった、わかってほしい。という感情が、近くにいる存在の夫に向かっていきました。
私は、最初、これを良くない事。
自分が悲劇のヒロインぶって、こんなに大変だったよアピールをするなんて、子供じみている。と思っていました。
でも、私の主治医は、今回のこの一連の事を、
良かった事なんだよ。
と言ってくれました。昔抑圧してしまった感情は、事あるごとに、表に出てくる。でも、そうやって、少しずつ発散させていくことが、昔の気持ちを少しずつ軽くしていく。
と言ってくれました。
そこから、週1回、通院し、先生に昔の事を思い出すままに聞いてもらっています。
それが、今の私です。
でも、当たり前ですが、今まで書いてきた事も私が本当に感じで来たことです。
過去の色々な出来事、そのものに関しては、これまでも書いてきましたが、1つ1つが糧となり今の自分にプラスになって繋がっていると思います。
病気になんてならなければ良かったか?
と聞かれたら、
いや…。と回答に戸惑うと思います。
確かに、体力のある身体で、手術の跡のないキレイな身体で、生まれた時のままの声を無意識に出せる声帯に戻れたら、それは魅力的です。憧れます。
でも、それは、もう私でないのです。
大変だった事も、無理して忘れる必要はなくて、全部含めて今の自分になっている。
(これは友達に言ってもらった言葉の引用です。友達、ありがとう!)
のだと思います。
ただ、過去の出来事自体は、今の自分を形成してくれた事、という理解があるのですが、
過去の感情を置き去りにしてしまった。
過去の感情とは、
辛いときに泣かなかった。つらいと言わなかった。痛いと言わなかった。しっかりしていなきゃと思った。弱音を吐くのは、支えてくれている家族や、周りの大人に失礼だと思っていた。大人に頼ろうとしなかった。
こんな感じかな。
もし、今の私が、
あの頃の私のそばにいたら、
点滴って痛いの?
そっかー、痛いんだね。
とか、
息苦しいの?
そっか、嫌になっちゃうよね。なんで自分だけって思っちゃうよね。
大丈夫。未来はどうとでもなる。
けど、今はつらいよねー。泣いてもいいよ。
って、言ってあげるかな。
ただ、そういう感情を抑圧する事で、自分を保っていたという側面もあると思います。
あの時に、全て出してしまってたら、もしかしたら日常がストップしてしまっていたかもしれない。私なりの、心が折れてしまわないような防衛だったのかもしれない。
とも思います。
何を言いたいのか、話がまとまらなくなってしまっていますが、あえて、きれいにまとめなくてもいいですか笑?
これを読んで、それぞれで何かを感じて頂ければ、とても嬉しく思います。
絶対にこうした方がいい。という正解は人生にはありません。だから、その時その時、目の前にある事を1つ1つ頑張ったり、時々休んだり、弱音を吐いたり、そうやって進んで行って、どこかでほつれが出てしまったら、その時周りに頼りながら、ほつれた部分を治していけば良いのかなと思います。
ちなみに、連休前から仕事は少しずつ復帰していて、連休後から本格的に復職です。
キツくなったら、弱音を吐きます❤︎
無理しない程度に頑張るとう、一番難しい事に挑戦してみます笑。
そしてまた、何か感じたり、気づいたりした事があったら、ここで書かせて下さい。
人生その繰り返し。
ですものね!
読んで下さってありがとうございます。